天文との出会い
第6回 「150EDからミニボーグへ」

Writer:中川 昇

《中川昇プロフィール》

1962年東京生まれ。46才。小学3年生で天文に目覚め、以来天文一筋37年。ビクセン、アトム、トミーと望遠鏡関連の業務に従事。現在、株式会社トミーテックボーグ担当責任者。千葉天体写真協会会長、ちばサイエンスの会会員、鴨川天体観測所メンバー、奈良市観光大使。

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BORG150ED(カタログから) BORG125F2.8ED(カタログから)

さて、前回述べた通り、BORG125EDは良く売れました。特に中判フィルム対応のスーパーレデューサー6×7付きのセットはF4という明るさが受けて、ベストセラーになりました。1台40万円の望遠鏡がコンスタントに売れたので、調子に乗って、1998年に125F2.8ED(写真左 約40万円)、1999年に150ED(写真右 約60万円)と、どんどんマニアックな製品を開発していったのです。特に125F2.8EDは個人的にはボーグの最高傑作だと思っています。この機種の生産中止を決めたとき、この機種ほどボーグファンから熱烈な撤回を求める声が大きかった望遠鏡はありません。もう2度とこのスペックの望遠鏡は出ないと思います。中古市場で見つけたら迷わずGETをお勧めします。

さて、この125F2.8EDも150EDも初回はまずまず売れたのですが、後が続きません。このころから、業界全体の雲行きがおかしくなってきました。望遠鏡が思うように売れなくなってきたのです。1996年には百武彗星、1997年にはヘール・ボップ彗星という二大彗星がやってきて、一時的に業界は潤ったのですが、やはりブームの後には必ず反動が訪れます。2年連続の彗星騒ぎで天文ファンは疲れてしまったのか、特に高い望遠鏡が売れなくなってしまい、売上が低迷する暗黒の時代へ突入してしまったのです。

その以前から、望遠鏡本体が売れなくなる時代の前兆はありましたので、弊社はパーツの販売に力を入れるというか、力を入れざるを得ない状況に追い込まれていました。幸い、ボーグは発売当初より、売れるものは何でも売るという明確なコンセプトがありましたので、とにかくご要望のあるものは、片っ端から製品化していきました。これは細かいことが大好きな私の性格によるところが大きく、他の担当者でしたら、まずこの販売方法はあり得ないと思います。今や「パーツのボーグ」「パーツといえばボーグ」といわれるほどの圧倒的な種類のパーツを販売しています。間違いなくボーグは世界一の望遠鏡パーツ屋さんでしょう。特にヘリコイドやアダプター類は他の追随を許さず、市場で独占状態ですから、極端に言えば、パーツだけ扱っていたほうがはるかに効率がいいかもしれません。もちろん、国産望遠鏡メーカーとしての意地がありますので、比率が逆転しないように気をつけてはいます。しかし、現状はパーツで稼いだ利益を本体の新製品に投資しているようなものです。外からみるとパーツを整理した方が効率が良いのでは?と思われるようですが、実態は全く逆なのです。

そんな売上低迷を打破するためには画期的な新製品が何が何でも必要だったのですが、150EDや125F2.8EDまで行き着いてしまうと、当初考えていたボーグのラインナップとしては、終着点が見えてしまいました。1991年にスタートしてから10年目にして、当初の目的は達してしまったということになります。次の目標が見えない「燃え尽き症候群」に陥ってしまったのです。さらには、会社の事務所と倉庫の移転が2年間に2回、事業部自体が2001年10月に(株)トミーから(株)トミーテックへ移管されるなど、会社の体制にも振り回される厳しい状況が続きました。

ミニボーグ50(製品写真)

そこに彗星の如く登場したのが、「ミニボーグ」です。このミニボーグは大型化がダメなら小型化があるさ、というまさに逆転の発想で生まれたボーグの救世主的な新製品でした。ミニボーグとのそもそもの出会いは、古くからの熱心なボーグユーザー山内様からの提案でした。山内様は、バイクにボーグのプラスチック鏡筒を積んで運んでいたのですが、もっとコンパクトで軽いボーグがぜひ欲しいという声をいただきました。「口径の小さな望遠鏡なんて需要があるんかいな」というのが正直な私の感想でしたが、藁にもすがる思いでとりあえず試作をしてみることにしました。それが口径50ミリ焦点距離250ミリF5のミニボーグ50でした。私はその試作品を見た瞬間「あっ、これ欲しい」と思わず叫んでいました。それほどインパクトがあり、「これは売れる!」という直感が働きました。2002年初夏のことです。その年の望遠鏡ショーに展示したところ、皆さんが試作品を手にとって、「これいいねえ」と大きな関心を示してくれました。対物レンズも双眼鏡の対物レンズの流用ではなく、ボーグの他の対物レンズと同じ精度で磨いた非常に良く見えるものだったことも評判を良くしてくれました。予想通り、発売後1年近く品薄状態が続くほどの人気ぶりで、ミニボーグ景気に沸きました。

ミニボーグ45ED(製品写真)

さらに2003年1月には、伝説のミニボーグ45EDを発売します。この45EDは、野鳥撮影派から「銘レンズ」とうたわれ、天文ファン以外の方が望遠鏡を使用するきっかけになった伝説のレンズです。この45EDは実はニコン製のレンズ硝材を使用しており、磨きも検査も76EDや100ED並みに厳しくしましたので、評判の高さには確固たる裏付けがあったのです。この45EDの性能の高さは現行の45EDIIにも引き継がれています。

ただ、ミニボーグのお陰で販売台数は飛躍的に増える一方で、今までのボーグと比べると単価が低いので、売上的にはしばらく厳しい状態が続きました。ミニボーグといえども対物レンズは人工星による全品実視検査をしていますので、忙しさは加速度的に高まり、ずいぶんと「ミニボーグ残業」をしたものです。

カメラアダプターDF−1X(製品写真)

さて、この45EDが発売された2003年は、事務所と倉庫の3回目の移転があり、さらに「火星大接近」という一大イベントがありました。この火星大接近の夏は忘れることができません。とにかく売れました。

火星接近の写真 =76edlの3枚1セット組写真

過去にハレーブームやバブル景気を経験した私の中でも、これだけ短期間に望遠鏡やパーツが売れた時期は記憶にありません。おそらく今後もないでしょう。8月27日の最接近前の1ヶ月間はまさに飛ぶように望遠鏡やデジカメアダプターが売れました。デジカメアダプターが1日に100台売れて、翌日にも100台の注文が来たときには心底驚きました。夏休み返上で発送して何とか凌いだのも今では甘酸っぱい思い出です。この年はボーグ過去最高の売上と利益で大いに潤いました。望遠鏡はこんなに売れるものなのか…。そう思ったのも束の間、ブームの反動は確実に訪れます。2004年から業界は再び、暗黒の時代に入り込みます。教訓としては、ブームに頼ってはいけない、ということでしたが、皮肉なことに、その業界低迷期を救ったのが、今度は野鳥撮影用の望遠鏡、「デジスコ」ブームでした。デジスコの黎明期の話は興味深いので、次回に少し触れたいと思います。また、フィルムカメラの衰退とデジタルカメラの急速な普及など、次から次からへと時代の大きな変化が訪れます。次回は、急速な時代の変化にいかに対応していくかの苦悩について書いてみたいと思います。

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