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Book Review

金井三男金井三男さんによる書評

星ナビ星ナビ「月刊ほんナビ」に掲載の書評(原智子さん他)

編集部オンラインニュース編集部による書評

それでも地球は動く ガリレオ

表紙写真

  • 草下英明 著/中島靖侃 画
  • 講談社
  • 新書変型判、197ページ
  • ISBN 4-06-147529-0
  • 価格 620円

ガリレオが望遠鏡を初めて月に向けたのは、1609年11月30日のこと。それゆえ400周年の今年は世界天文年2009と制定されている。たぶん本書もそれに合わせての刊行だろう。著者は、五島プラネタリウム草創期の解説員として鳴らした故草下英明大先輩だ。もちろん初版本ではなく、1982年の初版から数えて24版目。これだけで本書の定評がわかろうと言うもの。

児童向けのガリレオの伝記書は数冊見かけたことがあるが、本書がその中でもっとも表現が優しい(易しくもある)と評者は考える。天文解説家が書くと、天文学者と感性が共通になるものなのだろうか。「あの科学者ガリレオは数学ができなかった」…なんて、優しいですね。

ただ残念ながら、本書には少々誤りが多い。まず最初、コペルニクスの紹介記事で、牧師の傍ら医師兼天文学者だったとある。些細なことかと大方の皆さんはお思いのことだろうが、西洋の常識ではカトリック教会に牧師はいないし、コペルニクスは神学を勉強したが叙階に至らず(従って神父でもない)、教会参事会員なのだ。つまりは行政官である。

次に、ガリレオが1610年1月7日に初めて月を望遠鏡で見たとある。先述のごとく実際はその一ヶ月以上前である。おまけに木星の衛星発見はその三週間後とある。すると1月下旬ということになってしまう。1月30日に書簡で衛星の発見を公表していると言う記事は正しいが、これだとガリレオは発見後、大して確認期間を取らずに発表してしまったことになる。おまけにこれでは今年が世界天文年にならず、ちょっと具合が悪い。

もう一つ残念なことは、つい数十年前まで主流だったガリレオへの評価、すなわちカトリック教会による科学の弾圧の象徴というとらえ方が本書でも根底に置かれているが(この方が説明は簡単ではある)、現在この問題に関しては、口喧嘩屋とまで言われるガリレオの性格なども絡んでいることが明らかになりつつある。そのあたりは父母や先生のご指導にお任せしたい。

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ガリレオの望遠鏡による初期の発見に関する年表(評者作成)を添付しておく。

1609年 7月 ヴェネチアで倒立像の望遠鏡遊びについてガリレオが耳にした。
8月21日 凸凹レンズを組み合わせ、正立像の望遠鏡を自作し、議員らに聖マルコ聖堂鐘楼からヴェネチア市内を見せた。
8月24日
(25日説も)
ガリレオ、ヴェネチア大学に望遠鏡寄贈。その功績でガリレオの年俸が520→1000フロリン(一説には3倍以上)に引き上げられた。
8月29日 義弟ランディッチ宛書簡で望遠鏡発明をにおわせた。それによると、ヴェネチアの高い鐘楼から大公、元老院議員に倍率3倍の望遠鏡でみせたもの。
11月30日 月面スケッチを2枚描いた。倍率15倍。なお、著書「天文対話」にスケッチが発表されたクレーターの名前については、一説には「チコ」と言われる。
1610年 1月7日 メディチ家への手紙で望遠鏡で見た月の様子を報告した。望遠鏡による初めての月観察報告である。この発見は、後に望遠鏡使用・惑星衛星初発見・地動説の状況証拠となったことから、近代天文学の始まりといわれた。
1月7日
午前1時
木星の4大衛星(ガリレオ衛星)を初めて観望した。口径38mm、焦点距離1280mm、倍率30倍望遠鏡を使用し、I・III・IV衛星を発見した。II衛星の発見は翌日、マイヤーによる。ガリレオによるII衛星の発見は同月13日。なお、シモン・マリウスが前年1609年12月28日に4衛星を発見した(一説では11月)というが、報告書はしばらくの間出版されなかった。またマリウスは衛星とは確認していないという。ガリレオの観測は3月22日まで続けられた。このとき、天王星が木星の2度強東にいたが、ガリレオはもちろん気づいていない。
1月10日 木星第I衛星イオの食を観測した。史上初めての木星による衛星食の観測である。ステラナビゲータによれば、イタリア北部では、食始17時56分、食終19時39分である。
1月12日 木星衛星の運動に気付いた。
1月15日 木星衛星が木星の周りを公転していることを確認した。
1月19日 月面をスケッチした。その用紙に、コジモ・ディ・メディチのホロスコープを描いた。
1月30日 トスカナ大公国首相ヴィンタに、木星の衛星発見と銀河が星の集合であることを報告した。

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