天文雑誌 星ナビ 連載中 「新天体発見情報」 中野主一

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2009年2月5日発売「星ナビ」3月号に掲載

へびつかい座第2新星2008=V2671 Ophiuchi

2008年6月1日深夜、『今夜は買い物を忘れた』と自宅に戻り、食事をしていたときのできごとです。01時49分に、5日前の5月26日にへびつかい座に新星を発見した久留米の西山浩一氏から携帯に電話があります。氏は「佐賀の椛島冨士夫氏と行っている新星捜索で、また新星を発見しました。11等級です」と話します。『えっ、また新星を発見した……。ほんまかいな……』と思いながら、『また暗いですね。大丈夫ですか』とたずねましたが、氏は「たぶんOKです」と話します。『では報告を送っておいてください』とお願いすると「たった今、送りました」とのことです。そのため、急いで食事を切り上げ、オフィスに戻ってきたのは02時20分のことでした。

西山・椛島氏からのメイルは01時47分に届いていました。そこには「5月31日深夜、23時34分JSTと23時36分JSTにへびつかい座を105-mm f/5.6レンズ+CCDカメラを使用して30秒露光で撮影した2枚の捜索フレーム上に、また別の11.3等の新星を発見しました。フレームの極限等級は13.6等です。発見後、即座に40-cm反射望遠鏡でこの新星の出現を確認しました。82分間の追跡で移動は認められません。最近では5月12日、21日と26日深夜にこの星域を捜索していますが、その捜索フレーム上に、12等級より明るい星はまだ出現していません。また、この星はDigital Sky Survey(DSS)で過去に撮影されたフレーム上にも、その姿が見られません」と電話で報告を受けたとおり、また別の新星を発見したことが書かれてありました。発見光度が11等級となるとかなり心配な発見です。しかし、発見は続くものです。それに期待しながら、この発見を03時10分にダン(グリーン)に連絡しました。

それから1時間ほどが過ぎた04時29分に上尾の門田健一氏から「薄明開始後、晴れ間が出てきまして、なんとか3フレームを撮像できました。03時21分にその星の存在と出現を確認しました。発見位置に明るい恒星が存在します。25cm f/5.0反射+CCDで、位置はGSC-ACT、光度はTycho-2(V等級)で測定しました。なお、南西の方向には電柱があります。低空の地上の建造物に視野を一部遮られましたので、測定には誤差が見込まれます。氏らからの報告の位置とは、わずかに違いますので、明晩も観測してみます」という、この星の存在を確認したというメイルが届きます。氏の光度は11.1等でした。氏が位置が少し違うと言ってくることは珍しいことです。そこで氏の測定位置を見ると、西山氏らが報告してきた位置とは約2"ほど異なります。わずかな差ですが、門田氏にはこれが気になるのでしょう。04時44分に西山氏らからも再観測が報告されます。門田氏の報告は、氏のコメントをつけて04時44分にダンに連絡しました。07時38分になって山形の板垣公一氏から「おはようございます。山形は昨夜も曇天、眠ってからまもなくメイルをいただいたようです。門田さん、そんな時刻に観測中でしたか? それにしてもお二人さんはすごいですね! おめでとうございます」と書かれてありました。この日は、青空の下08時40分に帰宅しました。

その日(6月1日)の夕刻は、19時55分に自宅を出て南淡路のジャスコまで買い物に出かけ、最後に洲本のジャスコにも寄って、22時05分にオフィスに出向いてきました。その10分後に板垣氏から「PNを観測しました。新星かどうか、私には判断できません」というメイルとともに、氏が21時58分に行った新星の確認観測が届いていました。氏の光度は11.7等と新星はすでに減光しているようです。出現位置は、門田氏の位置によく合っていました。さらに、板垣氏からは、23時28分に「皆さんの所は曇天のようですので、もう一度観測しました」という連絡と23時17分の観測が送られてきました。『えっ、他は曇りなのか……』と思っていると、日付が変わった6月2日00時04分に門田氏から「わずかな晴れ間から観測することができました。視野を確認して撮像を開始したら、2分後に厚い雲に隠れました。位置は、昨夜とほぼ同じでした。今夜は薄雲が通過していますので、光度には誤差があるかもしれません。その後しばらく待っていましたが、雲は途切れませんでした」というメイルとともに22時49分に行われた観測が届きます。氏の光度は11.3等で、新星は昨夜とほぼ同じ明るさでした。

そして、門田氏からは00時48分に「お二人の活躍には驚いています。広視野で効率的に新星を捜索されているようです。捜索方法をうかがってみたいですね。昨夜と今夜の確認作業を日記風に綴ってみました。昨夜は、薄明が始まって20分ほど経過した27時ごろから晴れてきたのですが、これから曇天が続くので、1つだけでも彗星をねらっておこうと思って、スタンバイしました。ルーリン彗星(2007 N3)を観測中に、新星発見の知らせが飛び込んできました。ただちに位置をチェックすると、まだ沈んでいませんでしたので、観測を中断し、望遠鏡の東西を切り替えて南西の新星に向けました。中野さんからメイルを受けて、9分後から撮像を始めたのですが、すぐ視野が電柱に隠されてしまったので、確認作業を終えました。画像を見ると、電柱の影で星の写りはよくないですが、該当位置にそれらしき星が確認できました。そして、望遠鏡を2007 N3に向け撮像を仕掛けて、測定を始めました。だいぶ明るくなっていましたが、彗星は13等級と明るく、高度も十分あったので観測できました。今夜は無理かと思っていたのですが、少し雲が薄くなってきたので、21時ごろからスタンバイしました。でも、中々晴れてこないのでお風呂で一休み。上がってきてもまだ晴れていません。カメラの冷却をキープしたまま、時々空を見ながら待機が続きます。すると、23時前に雲が薄くなってきました。あわててルーフを開けて緊急出動! 視野に導入して撮像を始めたらあっという間に曇ってきて、作業を終えました。測定の前に画像を見ると、昨夜と同じ位置に同じような明るさの星が存在しています。写っていたのでホッと一安心でした。その後は晴れ間が訪れることはなく、とてもラッキーでした」というメイルが届きます。天体の発見は、その発見者だけでなく、確認を受ける側にもいろいろなドラマがあるものなのです。

氏のメイルを読んで、01時11分に昨夜朝の西山・椛島氏の観測を含め、今夜の板垣氏と門田氏の観測をダンに送付しました。すると、その1分後の01時12分に椛島氏から「確認観測をありがとうございます。本日待機していますが、曇天で観測できそうにありません。当地は、あと数日は雨または曇天のようです」というメイルが届きます。『西山・椛島さん。ということは、確認ができて良かったですね』と思いました。それから約2時間半後の03時32分、氏らの発見した新星が公表されたIAUC8950が届きます。つまりダンは、早々とこの新星を公表してくれたことになります。そこには、この新星の出現はすでに世界の多くの観測者によっても確認されていたことが伝えられていました。なお新星は、ぐんま天文台で6月6日夜にスペクトル確認が行われ、V2671 Ophiuchiとして正式に登録されました。

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アンドロメダ銀河の新星 M31N 2008-06b

2008年6月30日の帰宅時には、それまでの梅雨空から一転して夏の青空が広がり、一気に夏が訪れたような朝でした。その深夜(7月1日)、自宅でゆっくりとしていると久しぶりに東京の大先生から「最近亡くなった伊野田繁くんの状況を知っているか」と電話があります。しかし『亡くなられたのは知っていますが、私も良くわからないのです。誰かにたずねてみます』と返答しておきました。そして、オフィスに戻ってきたのは01時15分のことです。03時10分、またまた西山・椛島氏から「アンドロメダ銀河に17.1等の新星を発見した」というメイルが届きます。そこには「7月1日01時58分前後に40-cm反射でM31を撮影した5枚の捜索画像上に17.1等の新星を発見しました。50分間の追跡で移動はありません。この星は、3月31日と6月13日に撮影した画像上には写っていません。DSSにもその姿はありません。中心核からの離角は西に186"、南に80"です」と報告されていました。氏らの発見をダンに伝えたのは03時23分のことです。メイルには、この1か月ほど音沙汰のないダンに『元気なのか?』と書き添えておきました。すると03時32分に「元気だ」との返事のあと、多くの世間話が書かれてありました。その際、まだ発行できていない今年度のHICQ2008の今後の扱いについて、何度かの議論が続きました。

そうしていると、05時18分にオランダの蓮尾隆一氏からSWAN画像上に写っている彗星について「ものすごく久しぶりにSWANをのぞいてみたら、馬鹿でかい彗星が写ってますね。ボアッティーニ彗星(2007 W1)ですかね。新しくて水素(〜水)が多い彗星はこうなるのですね。可視光の明るさと紫外での明るさをプロットすると何かわかるかもしれないと思いますが、このSWANの画像から光度を測定するのは無理そうだし……。ところで、突然ネットワークへの接続が悪くなって困っています。勉強しないといけない……」というメイルがあります。そうかもしれません。氏のメイルは、オランダから約30分かかって届いています。そこで、05時48分に氏に『うぅ〜ん。昨日山本速報を発行したのに、SWAN画像までは気づかなかった。ちょうど一番明るくなる時期だから、4等台までいっているのですね。光度曲線図をつけます。ところで、ネットワークは難しいぞ……。何にも分からんまま5台のインターネット・サーバを運用している感じ。ネットワークの最近の考えにはついていけん。そういえば、伊野田繁くんが亡くなったようです。知らないでしょうが、医者で浦田氏と小惑星の発見をしています』という返信をしておきました。ところが……です。その直後に『いかんいかん、ボケてきた。添付ファイルを忘れた。みんなよくやるが、私はこんなこと初めてだ』と自分の衰えを感じることをやってしまいました。

すると蓮尾氏からは、06時45分に「伊野田くん、知ってますよ。僕と同じくらいの年ではありませんか? みんな早死にするなあ。中野さんは長生きしてください。まあ、それなりに天文の世界で名を残した方はいいでしょうが、僕なんかは何もありませんからね。大昔、天文ガイドの表紙に写真が載ったくらい。私はあと半年で役職定年を迎えます。海外にいるから滞在の間は大きな収入減にはなりませんが、日本にいたらポストオフになって、年明けから給料35%減です。もう子どもも独立していますから気楽ですが、結婚が遅くて子どもが小さい人たちは大変だと思います。どこかに気楽で収入のいい大学講師の口などないですかね。科学史と称して南極探検やアポロ計画の話をしたり、一般教養天文学でいい加減な話をして、みんなにAを出して仏の蓮尾と言われるのもいいなあと思っているのですが……」というメイルが返ってきます。そこで、08時21分に『生きてやる。100万年でも……。この世の終わりがどうなるのか、見ないで死ねるものか。かなわぬときは、たとえこの身が滅んでも魂をこの世に残してみせる。でも、そんなこと言っている奴に限って早死にするのが、世の常かも……。人は言う。「おごれるもの。久しからず」と……。しかし、何をうまい話を……。でも、最近では名前も知らない大学がたくさんあるから、大学教授の職はいくらでもあるかもしれません』というメイルを返し、帰宅しました。

さて、その夜の7月2日00時22分になって、上尾の門田健一氏より「昨夜は26時ごろまで晴れ間がありましたが、その後は曇ったため早めに作業を終えました。今夜はあいにくの曇天です。梅雨が長引かないことを願っています」と西山・椛島氏のPNを観測できないことが伝わってきます。すると、00時29分に山形の板垣公一氏から「こんばんは。この新星はもう公表になっていすよ。2008-06bとして……」とメイルがあります。つまりこの新星は、他の観測グループによってすでに6月26日に発見され、両氏の発見はその独立発見ということになりました。板垣氏のメイルを見た門田氏から00時46分に「あっ、載っていますね。これで一安心です。梅雨時期なので、国内では今夜は確認できないと思っていたのですが、海外の発見で確認待ちだったようですね。ということで、おめでとうございました」というメイルが届きます。そこで、04時36分になって関係者に『おめでとうございます。門田さん。最近観測がないですね。忙しいのですか、それとも天候が悪いのですか。2007 W1がSWANカメラに明るく写っていますね。そろそろ見え始めると思います。注意してください。2007 N3にも……』というメイルを送っておきました。

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超新星 2008dv in NGC1343

その7月2日夜、20時05分に山形の板垣公一氏より電話があります。氏は「NGC1343に超新星を発見しました。光度は、少し暗くて18.2等です」と話します。『では送っておいてください』と話すと「すでに昼間に送ってあります」とのことした。この夜自宅を離れたのは、氏の電話から約2時間後のことです。そしてジャスコに寄って、オフィスには22時30分に出向いてきました。

板垣氏のメイルは、その日の昼11時11分に届いていました。その報告は「今までの発見で一番の難問でした」という発見報告から始まっていました。そして「2008年7月2日深夜、02時20分にカシオペア座にある系外銀河NGC1343を60-cm f/5.7反射望遠鏡+CCD使用して20秒露光で撮影した10枚以上の捜索フレーム上に18.2等の超新星状天体を発見しました。超新星が暗いために、その存在の確認は、14枚の画像を重ね極限等級を20.5等まで上げて行いました。この星は過去の多数の捜索フレーム上にも、その姿が見られません。過去のフレームも同じ枚数の画像を重ねて、星が存在しないことを確かめました。その極限等級は20.2等です。なお、50分間の追跡で移動は認められません。また、DSS上にもその姿はありません」と報告されていました。氏の発見は22時40分にダンに伝えました。すると、板垣氏から22時53分に「こんばんは。拝見しました。ありがとうございます。とても観測しにくいPSNです。気がついてから報告するまで半日も費やしました」というメイルが届きます。23時20分には、上尾の門田健一氏からも「暗い超新星を見つけられたとのことで、さすが60-cmですね。今夜は雲が多く、18等級の超新星の確認は無理そうです」という連絡があります。18等級の超新星の確認となると、板垣氏に再度観測を行ってもらう以外、手がなさそうです。

次の夜、7月3日01時26分に板垣氏からメイルが届きます。そこには「7月3日00時35分に昨夜の超新星を確認しました。まだ低空ですが、透明度がだんだん悪くなってきたので、今夜の観測とします。存在は8枚の画像で確認しました。昨夜と見た目、数値もほぼ同じで、光度は昨夜と同じ18.2等です」とその存在を確認したことが報告されていました。02時53分には門田氏より「6月は晴天日が少なく観測は低調でした。2007 W1はもう観測できる条件ですが、曇天続きのためチャンスを待ってねらいます。2007 N3は強く集光して明るいです」と昨夜のメイルへの返信が届きます。板垣氏の確認は、03時10分にダンに連絡しました。ダンは06時12分に到着のCBET1425で、その日の内にこの超新星の発見を公表してくれました。超新星が暗かったために、もう少し待たされるかと思っていましたが、これは幸運でした。それを見た板垣氏からも、06時32分に「おはようございます。昨夜は空が悪くなり、明るくなる前に寝ました。とても暗いし、センターの未確認天体のページにも出ないし、お蔵入りになると思っていましたが、「SN2008dv in NGC1343」になりました。びっくりしました。でも、私だけの観測で公表です。その責任の重さを感じています。ありがとうございました」というメイルが届きました。

その夜(7月3日)のことです。新星捜索を行っている札幌の金田宏氏から1通のメイルが21時10分に届きます。そこには「先日も大変お世話になりました。本当にありがとうございます。ところで、つい先ほど中央局の未確認天体のページに、たて座に発見された新星状天体(光度7.1等)の情報が載りました。この位置は、私も昨夜にニコンD40デジタル・カメラ+105-mm f/2.5レンズを使用して、4秒露光で捜索していますので調べてみました。その結果として、7月2日21時24分と21時46分に撮影された極限等級が9.7等の画像上には写っていませんでした。ちなみに発見位置から約2′ほど離れたところに星表にある9.5等の恒星が1つあります。この星を除いて半径4′以内に9.5等よりも明るい天体は存在しません。4枚を1セットとして2回撮影していますので、8枚の確認画像があります。もし本物なら、4.5時間に3等級以上増光したことになります。では、今後ともよろしくご指導のほどをお願い致します」という連絡が届きます。氏の報告は、7月4日04時27分になってダンに伝えておきました。

さて、門田氏とのやり取りの中にあったボアッティーニ彗星(2007 W1)は、6月11日にマウント・ジョンで行われた観測以来、約1か月ぶりに門田氏によって7月5日早朝に捕えられました。そこで、OAA/CSのEMESで『上尾の門田健一氏は、7月5日早朝にこの彗星の観測に成功しました。氏のCCD全光度は6.7等でした。氏のこの日の観測は、山本速報No.2589にある軌道のとおり、この彗星の運動に非重力効果の影響が見られることを確認しました』と知らせました。7月6日04時24分のことでした。

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3つの大火球 Fireballs on 2008 April 11、July 10、July 11

2008年7月20日と21日は、美星スペースガードセンターの坂本強氏のご尽力で「地球近傍小惑星アストロメトリ研究会&第17回小惑星会議」が開催されました。そこには20数名の方が出席しました。私も、久しぶりに開かれる「小惑星会議」ですのでそこに参加しました。そのため7月20日朝は、02時30分に業務を終了し、自宅に戻り、いったん休息し06時30分に起床しました。その3日前の7月17日の朝は、夏を待ちかねたようにセミがいっせいに鳴き出していました。そのため、この日も真夏のような暑い日でした。その日差しを受けて07時50分に再びオフィスに戻り、コーヒを飲みながらメイルをチェックしたあと、08時05分洲本発の高速バスに乗り込み、美星に向けて出発しました。10時33分西明石発の新幹線で岡山下車、清音で井原高速鉄道に乗り換え、矢掛に到着したのは12時30分のことでした。出迎えてくれた友人と近くの喫茶店でコーヒを飲んで、美星に向かいました。

その会場で、同センターの橋本就安氏から4月と7月に見られた大火球の話を聞きました。氏によると、データは今解析中とのことです。そこで、氏には解析が終わったらそれらを送って欲しいことを伝えました。7月28日になって、氏からはそれら3個の大火球の解析報告が届きます。そこには「火球1は、2008年4月11日21時46分に出現した光度が−5等級の火球で、これは徳島県藍住町にある人工天体落下監視カメラと、岡山県美星にあるBSGCのスカイモニターによって捕らえられました。火球2は、2008年7月10日00時53分に出現した爆発時の光度が−9等級の大火球で、最近運用が始まったBSGCの落下天体監視カメラと、香川県満濃公園に設置された人工衛星落下監視カメラで捕らえられものです。火球3は、2008年7月11日23時39分に出現した光度が−6等の火球で、この火球はBSGCと満濃公園の監視カメラで捕らえられました。得られた天球上の飛行経路から、それぞれの火球について、経路上の交点から求めた見かけ上の放射点と対地経路と飛行速度を次のように計算しました」と報告されていました。

そこで、それぞれの火球について、橋本氏から報告された観測データから日心軌道を計算しました。いずれの火球もV∞が11-Km/s以下では解がなく、火球1は28-Km/s以上、火球2は36-Km/s以上、火球3は37-Km/s以上では双曲線となります。求められた見かけ上の放射点、速度から計算した軌道では、地球に衝突する前は、いずれの火球もアポロ型天体に属する軌道を運行していたことがわかります。

参考のために、最初に報告された4月11日に出現した火球1の軌道と、地球への衝突経路図を示します。なお、現在我が国の多くの地点にこのようなパトロール・カメラが設置されるようになりました。近いうちには、地表面に到達するような大火球が捕えられることでしょう。

大火球の地球への衝突経路図

2008年4月11日出現の大火球。出現時刻は21時46分JST。経路上の通過点は1分ごと(途中までは2分間隔)

火球1の軌道要素

            α        δ
 放射点   = 189゚.03   −0゚.08
真放射点   = 193゚.82   −8゚.53
    V   =   9.14
    T   = 2008 June 10.07 TT
   ω   =  78.37(2000.0)
   Ω   = 201.89(2000.0)
    i   =   0.72(2000.0)
    q   =   0.8159
    e   =   0.3038
    a   =   1.1719AU
    P   =   1.27年

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