天文雑誌 星ナビ 連載中 「新天体発見情報」 中野主一

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2009年1月5日発売「星ナビ」2月号に掲載

いて座新星2008=V5579 Sagittarii

2008年4月11日21時36分、星ナビ編集部より「連休の関係で発売日が早まります。星ナビ2008年6月号は、通常毎月5日発売のところ、連休の関係で発売日が5月2日になります。加えて「昭和の日」や校了日が土曜・日曜日に絡むなどで、都合5日ほど進行が早まります。こちらから連絡するのは催促ばかりで恐縮ですが、できれば4月14日あたりに原稿をいただけると助かります」というメイルが届いていました。そこで、その夜の02時36分に『4月15日と16日に美星に出かけます。その準備がありますので、そのあとではダメでしょうか……』というメイルを返しておきました。すると編集部からは、4月14日05時39分に「19日朝までが希望です。次の週明けの21日朝がデッド・ラインなので、作業の余裕に中1日は欲しいところです。いろいろとお忙しいところ申しわけございませんが、よろしくお願いします」という返答がありました。そこで、05時54分に『ありがとうございます。いつも、ご迷惑をおかけして申し訳ありません』という低姿勢の返答を送りました。でも、何かと理由をつけて『締め切りを何とか遅らせよう』というのが筆者の常、このメイルのおわびと内心(本心)は別です。『やった。助かった。締め切りが延びた』とほっとしました。

しかし、そんなことを「そっちのけ」で、4月11日から15日まで、先月号にある「はくちょう座新星No.2」と「超新星2008bt」の処理を続けたことになります。そして、4月15日早朝には美星に出かけます。まだ原稿書きの準備は何もしないままで……です。もちろん、天文ガイド誌の原稿も同じ状態でした。先月号にあるとおり、美星滞在を1日で切り上げてオフィスに戻ってきたのは、4月15日23時00分のことです。『さて原稿を……』と、いつものとおり気は焦るのですが、年のせいか疲れていて眠くてしかたありません。そのためこの夜は、何もしないで自宅に戻ることになりました。つまり、残された時間は4月16日、17日、18日の3夜のみになりました。天文ガイドの原稿を4月16日、17日夜に仕上げようとがんばります。それでも間に合わず、18日の午前中、ふうふう……といいながら、昼11時20分にやっと送付しました。なぜ天文ガイドを優先したかというと、そちらの方が締め切りが数日ほど早いからです。残された夜は4月18日の1夜になりました。といっても毎度のことで、そこは手慣れたものです。天文ガイドの原稿を書きながら、星ナビの原稿も並列に進めていました。その原稿をようやく書き上げたのは、編集部との約束の日である4月19日早朝でした。そして『もう一度、読み返して送ろう……』と思っていたちょうどそのときのできごとです。

4月19日04時40分に九州の西山浩一氏と椛島冨士夫氏から電話があります。西山氏は、また「今度はいて座に新星を見つけた」というのです。いつものように『えぇ……、本当ですか。いて座というと昨年の櫻井さんの新星がまだ明るいですよ』というと、氏は「ちょっと調べます」と電話を切ります。そして、04時45分に「それではありません。これから報告を送ります」とのことでした。しかし、それから1時間が過ぎても、まだ彼らから連絡がありません。原稿の読み直しも終わり、そのことが気になって、05時44分に彼らに催促の電話を入れました。しかしちょうどそのとき、氏らからの報告が届きます。

そこには「2008年4月19日早朝03時49分JSTに105-mmf/5.6レンズ+CCDカメラを使用して30秒露光でいて座を撮影した2枚の捜索フレーム上に8.4等の明るい新星を発見しました。発見後、即座に40-cm反射望遠鏡でこの新星の出現を確認しました。最近では、4月14日と15日早朝にこの星域を捜索していますが、その捜索フレーム上に12.5等級より明るい星は、まだ出現していません。また、この新星はDigital Sky Survey(DSS)で過去に撮影されたフレーム上にも、その姿が見られません。ASASの変光天体やAAVSO、SIMBAD星表の1'以内に恒星はありません。中央局の未確認天体のページにも掲げられていません。もちろん、発見後の54分間に移動なしです。なお、USNO-B1.0星表には発見位置から5"ほどの位置に18等級の恒星があります」という報告とその出現位置が書かれてありました。しかし、小惑星とのチェックが書かれてありません。そのため、知られた小惑星が発見位置の近くに来ていないかを調べましたが、これも何もないようです。

発見は続くものです。報告からは、氏らの発見は確かなようです。そこで、中央局のダン(グリーン)に彼らの発見を送りました。4月19日に06時13分のことです。氏らの発見の処理をして、星ナビ編集部に原稿を送付したのが4月19日06時41分のことでした。この夜は07時40分に業務を終了し、実家に寄って08時50分に帰宅しました。『この空で、よく九州西部が晴れていたものだ』と思うほどの曇天の空でした。

4月20日は、高野山に出かけるため昼間に動かねばなりません。そのため、この夜(19〜20日)は十分の睡眠をとって、オフィスに出向いてきたのは4月20日02時45分のことでした。すると、その昼間の19日13時04分に上尾の門田健一氏から「明朝、確認観測のためにねらってみるつもりですが、曇りの予報です。今は小雨が降っています。九州は晴天が続いているようですね。以下は、0'.2以内の同定です。西山さんと椛島さんがピックアップされた星が一番近いです。なおUSNO-A2.0星表では、0'.2以内に恒星は見つかりませんでした」という氏の調査の結果が、そして、未確認天体のページに掲載されたこの新星を見て、ASASサーベイの捜索画像を調査した結果として「この星は、4月13日17時までに撮影された極限等級が14.5等の捜索フレームには見られないが、14日16時に撮影されたフレームには11.7等星として写っている」という情報が13時09分に西山・椛島氏に転送されていました。そして、オフィス到着42分前の02時03分到着のCBET1342に氏らの発見がすでに公表されていました。そこには「この新星の出現は、米国とイタリーの観測者によって19日18時ごろに8等級で確認された」ことが記載されていました。

オフィスに到着とほぼ同時の4月20日02時52分に西山氏から電話があります。氏は「今、確認観測を送りました。新星は7.9等まで増光しています」と話します。そこで氏には「すでに発見が公表されました。のちほど、発見情報を送ります」と返答しました。氏らからの報告は、その直前の02時50分に届きます。そこには、40-cm反射によるこの夜の観測が書かれてありました。氏らには、02時54分に『おめでとう』とCBET1342を送っておきました。そしてダンに『すばやく対応してくれてありがとう』というお礼をつけて、彼らの今夜の確認観測を送りました。03時08分のことです。続いて新天体発見情報No.124を作成して、それを報道各社に送ったのは4月20日04時30分のことです。ここでこの夜の業務を切り上げ、旅の準備をして05時30分のバスで高野山に向かいました。高野山に出向くのは、3年前にデイビット(アシャー)、秦野の浅見敦夫氏と出かけて以来のことです。

高野山からオフィスに戻ってきたのは20時30分のことです。メイルをチェックすると、20日06時40分に山形の板垣さんから「皆さん、おはようございます。西山さん、椛島さん、新星発見おめでとうございます。またまたすごいですね。中野さん、山形は晴れなくて観測できませんでした。いつもありがとうございます」というメイルが発見者に送られていました。21時20分、オフィスを離れ、途中のジャスコで買い物をして、自宅に戻ったのが21時50分。すぐ眠ることにしました。十分の睡眠を取って、目覚めたのは4月21日13時30分のことです。『今日はのんびりしよう』と思っていたのですが、仕事が残っていることを思い出し、17時10分に自宅を離れ、オフィスと実家に出向いた後、南淡路のジャスコ、三原のリベラルまで出向いて買い物をして、再び、19時15分にオフィスに戻ってきました。ところでこの新星は、のちになって4月24日05時45分到着のIAUC8937にも公表されます。そこには、新星はその後も増光し、4月23日11時には6.5等まで明るくなっていることが伝えられていました。西山・椛島氏からも27日04時すぎにこの新星が6.6等まで増光していることが伝えられました。なお、最近では、新星の捜索は多くの観測者によって行われています。このため新星の発見は、大変多くの同時独立発見が報告されます。しかしこの新星は、西山・椛島氏の単独発見となりました。発見の朝(4月19日)に九州の一部の地域だけが晴天であったのが、両氏にとって幸運だったのでしょう。

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へびつかい座新星2008=V2670 Ophiuchi

5月22日朝、星ナビ編集部に7月号の原稿を送りました。続いて、天文ガイドへの原稿は5月25日朝に送付しました。夜中まで降り続いていた雨は朝にはあがり、夕方には天候が回復してきていました。その日(5月25日)夕刻は、19時40分に自宅を出て南淡路まで買い物に出向き、最後に近くのジャスコに出かけました。例によってコロッケを買うと、レジで「コロッケがお好きですね」と声をかけられます。『どうして……』とたずねると「いつも買われています」といわれます。恥ずかしくなって『違うんだ。これは、毎朝仕事が終わって自宅に戻ると、犬ちゃんが待ってる。そのおやつだよ』と説明しました。すると「えぇ……朝に仕事が終わる? 犬ちゃんを飼われているのですか。いいですね……」といわれます。そこで弁解のために『夜間に原稿を書いたり、プログラムを組んだりしている。犬ちゃんはどこかからやってくるんだ』と答えておきました。そして、21時50分にオフィスに到着しました。

その夜のことです。5月26日04時ちょうどに九州の西山浩一氏と椛島冨士夫氏から「今度は、へびつかい座に10等級の新星を見つけました。今送ります。ご覧ください」との電話があります。少し暗い新星の発見ですが、新星発見の経験を積んできたせいか「自信に満ちた報告」になってきました。氏らからのメイルは、04時05分に届きます。そこには「5月26日早朝、01時38分と01時56分JSTに105-mmf/5.6レンズ+CCDカメラで、へびつかい座を撮影した2枚の捜索画像に10.2等の新星を発見しました。発見後、即座に、40-cm反射望遠鏡でこの新星の出現を確認しました。最近では5月20日と21日早朝にこの星域を捜索しています。しかしその捜索フレーム上に、12.4等より明るい星はありません。USNO-B1.0星表には、発見位置から6"ほど離れた位置に16等級の恒星が記載されています。しかしこの新星の位置には、DSS上でも、ASAS、AAVSO、SIMBAD星表等にも、1'以内に恒星はありません。もちろん、22分間の追跡で移動は見られません」という報告とその出現位置が書かれてありました。

『それでは、ダンに報告を……』と思ったそのときのできごとです。04時10分に電話が鳴ります。掛川の西村栄男氏です。とっさに『氏もこの新星を発見したんだ』と気づきます。西村氏は「何か新星が見つかっていますか」とたずねます。もちろん、西山・椛島氏の新星であることは感じています。しかし氏には『いえ、ありません』と答えました。氏は「へびつかい座に新星を見つけたので、これから送ります」と話します。そこで、西村氏の報告を待つことにしました。西村氏の発見は、04時18分に「いつもお世話になります。添付の報告のとおり、新星らしき天体を見つけました。ご確認をお願いします。後に画像もお送りします」というメイルとともに届きます。この報告には「へびつかい座を120-mmレンズ+キヤノンEOS 5Dデジタル・カメラで、2008年5月26日01時56分に20秒露光で撮影した2枚の捜索画像上に10.2等の新星を見つけました。画像の極限等級は12.5等です。小惑星をチェックしましたが、明るい小惑星は近くにはいませんでした。変光星と過去の画像はこれから調べます」と書かれていました。氏の発見画像は、04時21分に届きます。それをながめると「僕、ここにいるよ〜〜」と叫んでいるようなかわいい小さな新星でした。

両者の位置を確認すると、同じ新星です。そこで04時20分に西村氏に電話を入れ、『実は、お電話をいただいた10分ほど前に、西山・椛島さんからもこの新星の発見が報告されました。報告された位置を見ると同じものです。彼らが40-cm反射で確定した時刻は、そちらの発見時刻よりあとなのですが、彼らのいう発見時刻は、わずかに18分ほど早いですね。これから報告します』と西山・椛島氏の独立発見を伝えました。そして、2か所での発見をダンに伝えたのは04時42分のことです。そのあと、04時52分に西村氏にもう一度電話を入れ、『過去の画像の調査』をたずねました。すると「5月15日と21日の捜索画像には、新星の出現が見られません」とのことでした。この情報は04時59分にダンに知らせました。

実は、この日に処理しておかなければいけない会社の雑務の書類を自宅に忘れてしまっていました。そこで05時25分にいったん自宅に戻ることにしました。すると、犬ちゃんに出会いました。『いけない。なんていうことだ……』と新しいコロッケをオフィスに忘れてきたことに気づきます。『待ってて……、すぐ戻るから』と伝えて、「どこへ行くの?僕ちゃん、ここにいるよ」と泣き叫ぶ犬ちゃんを1階に残して自宅に戻り、会社の書類とホットドッグ用に買っておいたソーセージをひと袋持って、エレベータに乗りました。戻る途中、1階のエレベータの前で泣き叫ぶ犬ちゃんの声が聞こえます。『早朝から近所迷惑だから、あまり泣かないで……』と祈りながら1階に戻り、『おい。また新星が見つかったよ。それに今回は、2か所での独立発見だ……』と話しながら買っておいたソーセージを全部あげました。犬ちゃんは車のそばでお座りをして、まるで手を振っているかのような動作をして見送ってくれました。私も『変わり者』だといわれていますが、『変わった犬ちゃん』です。類は友を呼ぶということでしょうか。オフィスに戻ってきたのは、05時45分のことでした。このとき、中央局の未確認天体のページには、まだ彼らの発見は入っていませんでしたが、06時40分にはそこに掲載されたことを確認して、08時20分にオフィスを離れ、自宅と郵便局、銀行に寄って雑務を処理して、09時40分に自宅に戻ってきました。空はよく晴れていました。この朝はまだ少しの雑用が残っていたために、結局、睡眠についたのは午後03時すぎになってしまいました。

この日は昼間に働いたせいか、この夜(5月26/27日)オフィスに出てきたのは27日03時40分になっていました。すると、5月26日22時52分に西山・椛島氏から「今夜22時30分に新星の存在を確認しました。光度は9.8等と少し明るくなっています」という報告、上尾の門田健一氏からも27日00時05分に「透明度がよくないですが、観測できました。発見位置に明るい恒星が存在します。光度は9.9等です」という確認観測が届いていました。そして、すでに5月27日03時32分到着のIAUC8947でこの新星の発見が公表されていました。この新星の出現は、すでに世界の多くの観測者によっても確認されていました。『いけない。みんなに悪いことをしてしまった』と思いながら、03時46分に門田氏へ『すみません。昼間に起きていたので、先ほど出てきました。送っていただいた観測はIAUC8947に間に合いませんでした。あとで報告します』というおわびのメイルを送っておきました。門田氏からは04時09分に「いえいえ、いつもご苦労さまです。発見者の方々には、こちらの確認観測が伝わって、安心していただけたようです。それにしても、新星の発見は国内だけでも一刻を争うようになりました。日本人の活躍には驚くばかりです」という返信が届きます。そして、これらの観測をダンに報告したのは04時20分になっていました。

同夜04時52分になって、西山氏より「薄雲の中でようやく1枚のみ撮れました」というメイルとともに、アンドロメダ銀河に出現した新星の確認観測が届きます。というのは、西山氏・椛島氏は5月15日と23日に同銀河の中に2個の新星を発見していたのです。5月16日の新星はすでに確定して2008-05aとして登録されていましたが、あとの5月23日の新星(2008-05b)はまだ確認されていなかったのです。氏らの確認観測は05時32分にダンに送付しました。そして、06時30分に「新天体発見情報No.125」を報道各社と関係者に送り、07時50分にオフィスを離れ、実家に寄って帰宅しました。

その夜23時05分、オフィスへ出向くと、その朝、オフィスを出た直後の08時07分に津山の多胡昭彦氏から1通のメイルが届いていました。それは「5月26日23時48分にいて座を撮影した捜索フレーム上に10.6等の新星を発見しました。撮影直後にこの星の出現に気づき、27日01時51分にこの星の存在を確認しました」というこの新星の発見報告でした。多胡氏の発見は、西山氏らの発見からまだ24時間も経っていませんが、新星がすでにIAUC8947に公表されていますので、多胡氏には泣いてもらうことにしました。21時03分には、西村氏より「今回のへびつかい座新星につきましても、大変お世話いただき、発見者の一人となることができました。本当にありがとうございました。デジタル・カメラに切り替えてほぼ1年になります。フィルムと違い良く写ってくれるのですが、見落としばかりで「自分には向いていないのでは……」と悩んでいたときの発見で、今までの発見とは違う喜びを感じます。これも中野さんのお陰と感謝しております。私の人生も残り少なくなったようなので、徐々に彗星捜しに移行しようかと真剣に考えています。今後もよろしくお願い申し上げます。昨年、お父様を亡くされたとのこと、遅くなってすみませんがお悔やみを申し上げます。いろいろなことが中野さんの肩にのしかかってきているものとお察し致します。どうか、お体を大切にされ、私達アマチュアの良き指針として、いつまでも、ご活躍されますようお祈りしております。今回も本当にありがとうございました」というメイルが届いていました。

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