「明月記」の超新星記録を世界に紹介した射場保昭
「明月記」の天文記録を世界に紹介し、超新星研究が進むきっかけを作ったアマチュア天文家・射場保昭の名を冠した小惑星が誕生した。その業績を紹介した展示が19日まで京都市で開催されている。
【2014年10月14日 作花一志さん】
1997年2月1日に小林隆男さんが発見した小惑星(9432)が、アマチュア天文家の射場保昭(いばやすあき:1894〜1957)にちなんでIbaと命名された。太陽からの平均距離は2.36au(約3.5億km)、公転周期3.6年のメインベルト小惑星だ。
射場保昭は神戸の貿易商で、山本一清、神田茂や欧米の研究者と交流を持っていた。その最大の業績は、「明月記」に載っている客星(超新星)出現記録を世界の天文研究者に紹介したことだ。
「明月記」は日本の代表的な歌人・藤原定家が1180年から1235年までに著した日記で、天文現象に関する記録を多く残す貴重な資料となっている。望遠鏡が発明される前に観測された超新星爆発の記録は世界に7件しかないが、そのうちの3件(1006年、1054年、1181年)が「明月記」に記載されている。平安の陰陽師・天文博士が実際に観測したものを安倍泰俊(安倍晴明の子孫)が調べて藤原定家に報告したものだ。
700年後、これらの記録をに世界に紹介したのが射場保昭だった。彼が英天文誌「Popular Astronomy」(Vol42 pp243-251, 1934)に寄せた記事「Ancient Records of Novae(Strange Stars)」がヤン・オールトら研究者の目に留まったことがきっかけで、かに星雲(M1)が1054年の客星の900年後の姿であることが明らかになり、超新星爆発のメカニズムの研究が大きく進展した。
京都大学総合博物館(京都市)で10月19日(日)まで開催中の特別展「明月記と最新宇宙像」で、射場保昭の業績を詳しく紹介している。