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天文雑誌 星ナビ 連載中 「新天体発見情報」 中野主一

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077(2010年10〜12月)

超新星状天体 in NGC 5430

2010年10月5日22時30分、中国のチェン氏(タオ)より1通のメイルが届きます。そこには「ウルムチのカオ氏らが10月3日23時30分頃に35cm f/6.9シュミット・カセグレンでNGC 5430を60秒露光で撮影した何枚かの捜索画像上に17.2等の超新星状天体(PSN)を発見した。4月8日の画像では、発見位置に星は見られない。極限等級はいずれも19.5等級。日本の仲間に確認を頼めないか」という確認依頼が書かれてありました。その確認のため、この情報は、10月6日02時08分に上尾、大崎に送られました。実は、タオからはこれより4日前の2010年10月1日23時27分にアンドロメダ銀河に出現した新星の発見報告もありました。しかし、この新星はすでに九州の西山浩一・椛島冨士夫両氏によって発見され、大崎の遊佐徹氏も10月1日18時59分に16.9等で確認観測を行っていました。

それから30分ほどが過ぎた02時32分に上尾の門田健一氏から「明け方の低空に見られる位置ですが、今夜の上尾は曇天です。そろそろ作業を終えます。夏に落ち込んだ観測のペースは少し上向きになってきています。でも、今週は、あまり天候が良くないようです」という連絡が届きます。関東は天候が良くないようです。しかし当地ではこの日の朝は快晴となりました。その朝、11時47分に大崎の遊佐氏から「先ほどメイヒルの25cm f/3.4反射でPSNの観測を試みましたが、失敗しました。低空の空の状態が悪いため、星がよく写りません。天候が回復した後は、他の観測者に占められて使えなくなりました。今夕の大崎も天候は悪く、再観測は明日になります」というメイルが届いていました。翌日になってこのPSNの確認に成功した遊佐氏から、10月7日19時02分、中央局へ「NGC 5430に出現したPSNを大崎の30cmカセグレン望遠鏡で10月7日18時28分に確認した。光度は17.0等」というメイルとともにその出現位置と銀河中心位置が送られていました。その夜の10月8日01時52分には、門田氏より「明け方の低空で写りが良くなかったのですが、なんとか測定できました。観測後、睡眠を取るためにすぐに休みましたので、測定が遅くなりました」というメイルともに「25cm f/5.0反射望遠鏡で10月7日04時23分に観測したところ、PSNは17.0等」という観測報告が届きます。そこで氏の確認を03時53分にダンに知らせました。また、タオにも遊佐氏と門田氏の確認を知らせておきました。10月8日03時58分のことです。

すると、その日の朝06時37分にダンより「Chenに送った報告の観測者は誰だ」というメイルがあります。『どういうこっちゃ……』と思いながら、06時48分に『これは、日本の観測者の名前という意味か。もしそうなら第1確認はYusa、第2確認はKadotaだ。これで良いのか』という回答を送りました。すると、06時51分に「そうだ。ありがとう」という返答がありました。

ダンは、これらの観測をまとめて07時15分到着のCBET 2486でこのPSNの出現を公表しました。そこには海外での確認もありましたが、CBET 2486では、天体はまだ超新星状天体として公表されていました。残念なことに、このPSNはスペクトル確認が行われず、そのままになってしまったようです。

アンドロメダ座大銀河に出現した新星M31N 2010-10c

10月16日夜、オフィスに出向くとその夕刻18時48分に大崎の遊佐徹氏より「西山・椛島氏からの依頼で、彼らが10月15日22時46分頃にM31に発見した新星状天体(PN)の確認を行った。大崎の30cmカセグレンによる10月16日18時29分の確認では、この星は存在し、光度は17.5等であった」という報告が中央局に送られていました。その2時間ほどあとの20時58分には、山形の板垣公一氏より「10月16日18時34分にM31を撮影した捜索画像に新星らしき天体を発見しました。引き続き行った追跡でこの出現を確認しました。光度は17.4等。なお、9月25日に撮影した画像には出現していません。照合は2007年10月13日の画像(極限等級20.5等)で行いました。60分間で移動、光度変化はありません」という報告が届いていました。遊佐氏と板垣氏から報告された出現位置を比べると、この2つの天体は同じものです。しかし、板垣氏の発見は間違いありません。そこで22時45分に氏の発見をダンに送付しました。その報告を見た板垣氏からは22時59分に「拝見しました。ありがとうございます」というメイルが届いていました。

そのメイルを見た門田氏から23時12分に「こちらは、雲が多くほとんど晴れ間がない状態です。秋晴で天候が安定するのは、まだ少し先のようです」と上尾は今夜は曇っているという連絡があります。そして、遊佐氏からは23時58分に「板垣さんのM31のPNの画像をサイトに置きました。ご覧ください。このPNは、今朝、九州の椛島さんより確認依頼がありました。そのため、中野さん・板垣さんから情報が来る前に、大崎で観測を行っておりました。山形・宮城は、このところ本当に天気が悪いのですが、わずかな晴れ間で新天体を見逃さない板垣さんは本当にすごいですね。ところで、このたび、板垣さんには無理を言って大崎生涯学習センターの天文講演会の講師を引き受けて頂きました。多くの方々に板垣さんの素晴らしいお話を楽しんでいただけるよう、広報を頑張りたいと思います」と書かれてありました。

遊佐氏のメイルから30分後の10月17日00時34分にこの新星の発見を公表したCBET 2500が届きます。そこには、この新星は、すでに中国のカオ氏らによって、10月13日22時21分に出現光度17.8等で発見されていたことが報告されていました。従って、この新星は、3か所で発見されたことになります。

池谷・村上彗星(2010 V1)発見前後

この彗星の発見記は本誌2011年1月号に詳しく紹介しました。ここでは、発見のあった2010年11月4日前後に起こったできごと(一部)を話しましょう。11月2日早朝は、ICQコメット・ハンドブック2010/2011(HICQ 2010/2011)の原稿をダンに発送し、そのことを05時52分にダンに知らせました。早朝といっても、この荷物が島外に出るのは夕方18時頃になるはずです。このときダンは、約2週間の休暇を取って出かけていたヨーロッパ旅行から帰国した直後でした。ダンからは「ちょうど今、自宅に戻ってきた。イタリーでは彗星の古文書を探してきたよ」というメイルが08時20分に届いていました。その夜(11月2/3日)は、冬の天の川が見えるほどの快晴でした。それなのに、某天文学会の名簿の更新という雑用に一晩中時間を取られてしまいました。この時期、会費の切替時期で、多くの名簿の修正をしなければならなかったのです。しかも11月3日朝までには、宛名ラベル用のデータを発送業者に送らなければいけなかったのです。

11月4日06時20分には九州の西山浩一氏から電話があります。『ひょっとして同じ新彗星発見か、まさか……』と一瞬ぎくりとしましたが、幸い違いました。氏の電話は「超新星を捜索中におおぐま座の中に動きの速い小惑星を見つけた。送りますので、よろしく」という連絡でした。その発見報告は06時38分に届きます。送られてきた7個の観測では、この天体は日々運動10゚を超える高速で東に移動していました。とりあえず、この観測は06時50分に小惑星センターに送っておきました。そのあと、ふと人工天体ではないかと思い、地球を回る衛星の軌道決定を行いました。すると、この天体はω=275゚.7、Ω=46゚.1、i=68゚.1、q=16500km、e=0.81の長円軌道を動く、周期が約71時間で公転する人工天体(Chandra)であることがわかり、07時16分、このことを小惑星センターと西山氏に連絡し、この件は一件落着となりました。

11月5日03時36分にはダンより「HICQ 2011/2012の印刷用コピーが到着した。月曜日(11月8日)には、印刷所に入れるつもりだ」という連絡があります。そこで04時48分に『そうか。今回は2日と10時間でそこに届いたことになる。ウェブサイトにある荷物の通過リストを見ると、米国内のニューヨークからボストンまでが格段に早くなっている。日本郵便は米国内の配送ルートを改良したのだろう』というメイルを返しておきました。

11月6日05時37分に美星の浦川・奥村氏から同所の1.0m反射望遠鏡で11月6日03時頃に発見された2個の高速移動天体(A03456、A03457)の発見が報告されます。A03456は18等級、A03457は20等級の移動天体でした。バイサラ軌道を決定すると、フォサエ族かハンガリア族に属する小惑星のようでした。しかしNEOの可能性もあるために、この天体は05時47分に小惑星センターに報告しました。2つのバイサラ軌道は美星に送っておきました。すると06時34分に美星から「軌道計算ありがとうございます。A03456に関しては、見た目だけの印象ですが、以前発見した2007 YZと同程度の移動速度のように感じています。停止していた小惑星センターのウェッブサイトは30分待ってようやく回復し、NEOの可能性は33%と判定されています」というメイルが戻ってきました。その後、A03456はLINEARサーベイで11月2日に発見された2010 VR17(=BV98889)と同じ天体であることが判明しました。また、A03457は美星発見として2010 VO86と仮符号が振られました。いずれもフォサエ・ハンガリア型の小惑星でした。

池谷・村上彗星の発見処理も終わった11月6日09時01分に、山形の板垣公一氏から東京の蓮尾隆一氏に宛てたメイルが転送されて届きます。そこには「日々国際的にご活躍の様子、素晴らしいですね。蓮尾さんはとんでもなく優秀な方と中野さんから聞いています。その点、私は田舎町でボーッとして生活をしてます。眼視発見は、ある意味では時代遅れかもしれませんが、とにかくすごいです。彗星の発見にはいつもドラマがありますね。今回も発見報告から池谷・村上彗星に決まるまで“ドキドキの出来事”があったようです。そのことで中野さんの寿命も何年も短くなったかもしれません。中野さんにはいつもご苦労をお掛けしています。発見報告者からみると神様、仏様の存在です。いつまでも健康で夜昼逆さまの生活を続けて頂きたいと願っています」と書かれてありました。

時間が空いたこのとき、以前に届いていた蓮尾氏のメイルについて、09時16分に『……言われるとおりです。池谷さんの方が2〜3歳上ですが、私には大先輩です。1960年代に池谷さんが紹介された新聞の全面記事を机の前に貼っていたことがあります』という返信を送りました。また、同時に英文で今回の発見事情を書いた記事をつけておきました。すると10時55分には、蓮尾氏から「彗星の眼視発見にまつわるドラマってすごいですね。それにしても池谷さんは7つの発見すべて第一発見者だから、それだけでもすごいです。あまりにも嬉しくて、中学生のころに聞いたラジオドラマ『コメット・イケヤ』を思い出してネットで検索してみました。そうしたら、レコードから書き起こしたスクリプトがあるんですねぇ……。ネットの世の中はすごい。寺山修司氏の作品とは知りませんでした。もう、大昔、池谷さんに捜索用の20cmくらいの望遠鏡をのぞかせてもらったことがありました。接眼部の動きを小さくするために耳軸を接眼部のすぐそばに移し、激しくボトムヘビーなバランスにしていました。また、斜鏡が大きくて視野の真ん中が暗く見えるという、徹底的に単目的化した作りになっていて感動したのを覚えています。今も鏡磨きをしていらっしゃるのか存じ上げませんが、ますますお元気で活躍していただきたいものです。中野さんも……」というメイルが届きます。

そして、蓮尾氏から板垣氏への返信が16時13分に届きます。そこには「中野さんが大げさなことを言っているだけで、私は普通のサラリーマンに過ぎません。それもあと2年で定年ですから、その先、何をしようかと思い始めているところです。板垣さんも前人未到の新天体発見記録を更新中で、もはや誰にも破られることはないでしょうし、中野さんのような鬼才(素直に天才と言ったほうがいいのかも知れません)も、二度と現れないだろうと思っています。私は何も残してきたものがありませんから、これから何とかしなくては……。しかし、それにしても池谷さんは偉い。標準等級H10=3.0と中野さんの新しい軌道に書いてありましたが、これは異常な大きさ・明るさだと思います。やはりバーストしたと思うのが正解だと感じます。彗星の軌道面は黄道面に近いので、半年前くらいはもっと地球に近かったはずですし、それで見つからなかったのは暗かったと思うべきなのだろうと考えています。やはり、池谷さんに見つけて欲しくてあのタイミングでバーストを起こしたのではないでしょうか」と書かれてありました。

超新星 2010ki

12月2日朝は寒い朝でした。帰宅時にはよく晴れていた空も、夕刻には雨が降り始め、夜半頃はこの時期にはめずらしく大雨となっていました。そんなとき、23時02分に携帯が鳴ります。山形の板垣公一氏からです。『また、何か見つけたな……』と思いながら電話に出ました。氏は「無名銀河に超新星状天体です。今、送りました」と話します。『了解しました』と答えて電話を切りました。このとき私はまだ自宅にいました。あまりの大雨のため、無線LANを使用してオフィスのサーバに接続し、そのメイルを読みました。氏の報告は23時00分に届いていました。そこには「2010年12月2日夕刻20時21分に、60cm f/5.7反射望遠鏡を使用してうお座にある系外銀河を撮影した捜索画像上に、16.9等の超新星を発見しました。この超新星の出現は、その後に撮られた10枚以上の画像上に確認しました。この星の姿は過去の捜索画像上、および、DSS(Digital Sky Survey)にも見られません。しかし11月21日夜に撮影した捜索画像上に、この超新星がすでに17.3等で写っていることを見つけました。超新星は、銀河核から西に5"、南に5"離れた位置に出現しています」と書かれてありました。氏のこの発見は、23時32分にダンに送付しました。板垣氏からは、23時42分に「拝見しました。ありがとうございます」というメイルが届きます。

同じ夜、12月3日02時43分になって、上尾の門田健一氏から「天候は下り坂でしたが、わずかな晴れ間を見逃さずにご発見されたとは、さすがです。発見画像から明瞭な恒星像が確認できます。仮ですが、おめでとうございます。こちらは夜半頃から雨が降っています。最近だいぶ寒くなってきましたが、天候はまだ安定しません」という連絡があります。どうも関東も雨のようです。それから1時間ほどが経ち、大雨がやみかけた03時30分に自宅を離れ、オフィスに出向いてきました。そして04時33分に門田氏に『板垣さんから電話があったとき、まだ自宅でした。そのときかなり強い雨が降っていましたが、発見報告を送ったときから、身動きが取れないほどの猛烈な雨になり、大雨洪水警報も出ていました。03時頃には雨もほとんど上がり、やっとオフィスに出てきました』という返信を送りました。

夜が明けた07時36分に大崎の遊佐徹氏より「板垣さん。PSNの発見、おめでとうございます。発見前の画像もあって、すぐに公表されそうですね。こちらの雨もこれからピークになって、今夜も望み薄です。昼前にメイヒルのリモートで狙ってみたいと思います」というメイルが届きます。そして、その確認に成功した氏からは12時05分に「12月3日10時半頃に米国ニューメキシコにある25cm反射望遠鏡を遠隔操作して、この超新星の出現を確認した。光度は16.3等」というメイルとともに、その出現位置と銀河中心位置が中央局に送られていました。ダンは、この超新星の発見を15時39分到着のCBET 2564で公表しました。そのCBETを見た板垣氏からは「おかげさまでSN2010kiという超新星になりました。KIは私の名前そのものです。偶然ですが良い名称になりました。取り急ぎ、お御礼まで……」というメイルが16時53分に届いていました。

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