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天文雑誌 星ナビ 連載中 「新天体発見情報」 中野主一

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065(特別編:池谷・村上彗星)

事務作業に追われ……

2010年11月2日早朝、ICQコメット・ハンドブック2010/2011(HICQ 2010/2011)の原稿をダン(グリーン)に発送しました。そのことを05時52分にダンに知らせました。早朝といってもこの荷物が淡路島の外に出るのは夕方18時頃になるはずです。ダンはこのとき、約2週間の休暇を取って出かけていたヨーロッパ旅行から帰国した直後でした。ダンからは「ちょうど今、自宅に戻ってきた。イタリーでは彗星の古文書を探してきたよ」というメイルが08時20分に届いていました。その夜(11月2/3日)は冬の天の川が見えるほどの快晴でした。

それなのに、東亜天文学会(OAA)の名簿の更新作業に一晩中時間を取られてしまいました。会費の切替時期にあたり、多くの修正をしなければならなかったのです。しかも、11月3日朝までには、宛名ラベル用のデータを発送業者に送らなければなりません。このことが発見業務開始以来初めてのことになる『大失態』につながっていきます。

発見第一報

11月3/4日の夜も快晴が続いていました。11月4日02時07分には、上尾の門田健一氏から前月に発見されたヒル周期彗星(2010 U2)を含むその夜の観測が届きます。しかし、各地から報告されてくる多くの観測に目を通す時間はありませんでした。というのは、前日朝に発送業者に送るはずだった宛名ラベル用のデータ作成をまだ続けていたのです。そんなとき、11月4日04時36分に電話が鳴ります。新潟の村上茂樹氏からの電話でした。氏は「東の空、低空にあるおとめ座の中に新彗星を発見しました。今、観測地にいるためにコンピュータを使えません」と話します。『えっ、新彗星……』「はい。概略位置を言います。発見は11月4日04時13分、位置は赤経が12h35m、赤緯が-1゚.9、土星から3゚ほどの位置です。明るさは9等級、コマの視直径は4'です」と話します。そして「移動は、のちほど連絡します」と言って電話が切れました。この村上氏からの報告が私が新彗星の発見を知った第一報でした。

もちろん、その3分後の04時39分にはダンに村上氏の発見を報告しました。このメイルは、その確認のために上尾と山形と美星にも転送しました。美星に送ったのは、同地は快晴であると想像できたからです(その夜、美星からは、地球接近小惑星確認サイト(NEOCP)にある天体の確認観測が数多く届いていました)。しかし、夜明けが迫ってきています。これから観測者に連絡しても国内では確認できない可能性があります。そこで、ヨーロッパでの確認を考えてスペインのゴンザレスにも『日本で彗星を確認できなかったとき眼視確認して欲しい』と頼んでおきました。ダンからは04時45分に「Murakamiはどこにいるんだ。望遠鏡を知らせろ。発見は眼視なのかCCDなのか」という問い合わせがあります。『えぇぃ……、概略の報告と記述したのに……』と思いながらそれを読みました。

新彗星確認

しかし、夜明けが迫っているのはたいへん気がかりです。そのため、とにかく誰かをたたき起こそうと考えました。『仕事に追われ続けている門田さんを起こすのは申し訳ないなぁ……。でも、板垣さんはお山に出かけてるかもしれない……』と思い、山形の板垣公一氏の携帯に04時50分に電話をかけました。しかし、6回ベルを鳴らしても応答がありません。『北日本は天候が悪いから寝てるな……。これは悪かった……』と思い、電話を切りました。するとその6分後の04時56分に板垣氏より「眠っていました。コンピュータの電源が入っていたのでメイルを見ました」。『山(=板垣さんの山形市の観測所)ですか』「いや、曇っていたので自宅です」『晴れてますか』「曇っているよ……、ちょっと外に出て空を見ます」と言いながら外に出た氏は「ちょっと晴れている。少し時間があります。これからお山に行きます」『えぇ……、今からお山へ……と言っても、もう薄明ですよ。山形はここより夜明けが早いのだからもう間に合いませんよ』「いや、ちょっとやれるかもしれない。行ってみる」と夜明けが目前となった05時00分にお山に出かけてくれました。

板垣氏との電話の後、05時00分にダンに『Murakamiからの情報は、電話で受け取った概略のものだ。詳しくはしばらく後に彼から発見情報が届くだろう。ただし、帰宅には1時間ほどかかるとのことだ』と連絡し、そこには『夜明けまで1時間ほどあるため、どこかで確認できるかもしれない……』と記しておきました。板垣氏と特に夜明けの遅い美星での確認を期待していたのです。しかし、板垣氏の確認にはあまり期待していませんでした。空はほとんど曇っているということと、山形での天文薄明開始は04時37分で、そのときすでに薄明が始まっていたからです。05時13分に村上氏より発見第二報が届きます。氏は「彗星は東に移動しています。東に2'ほどの尾があるようです」と話します。『動きはどれくらいですか』「難しいですが1時間あたり2'ほどです」『門田さん、板垣さんには確認を依頼しました。念のため美星にも連絡しました。板垣さんは、お山に行ってくれました。しかし、夜明け前までに望遠鏡をセットできるかどうか。美星は快晴です。ただし、望遠鏡が1.0mなので、観測プログラムが終了していると再セットは難しいでしょう』と伝えました。そして、05時21分にダンに村上氏からの新しい情報を送りました。

板垣さんによる確認画像 05時24分になって、お山に登った板垣さんから吉報が届きます。「あったよ」。『形状はどうですか。尾は……』と問いかけると「すでに夜明けが始まった空での撮影のためよくわかりません。画像を送ります」とのことでした。そこで、まずダンに『彗星が確認された』ことのみを伝えました。05時29分のことです。そして、05時37分には板垣氏が05時19分から05時24分の間に行ってくれた9個の確認観測、そして、05時49分にはその画像が届きます。氏のCCD全光度は10.6等でした。同時刻に板垣氏から「どうですか」と電話があります。『この下にある明るい星がそうなのですか』「そうです」『すごく集光している。まるで恒星のようだ。尾はないですね』と答えました。そして、05時57分に板垣氏のこの確認観測をダンに伝えました。

板垣氏の観測から近日点軌道(バイサラ軌道)を決定しました。板垣氏は観測の精度を心配していましたが、氏の確認観測は±1"以内の精度でした。その軌道は「q=1.74AU、ω=172゚.0、Ω=358゚.8、i=16゚.7」となり、一見、周期彗星のような軌道でした。そのバイサラ軌道からの位置予報を計算し、ダンとゴンザレスらに今後の参考のためにそれを伝えました。06時07分のことです。そのあと、村上氏からは、06時15分に「今、自宅に戻ってきました。確認ありがとうございました」というメイルがありました。

高速移動天体

11月4日06時20分には、九州の西山浩一氏から電話があります。『ひょっとして、新彗星発見か……』と一瞬ぎくりとしましたが、違いました。氏の電話は「超新星を捜索中におおぐま座の中に動きの速い小惑星を見つけた。送りますので、よろしく」という連絡でした。その発見報告は06時38分に届きます。送られてきた7個の観測では、この天体は日々運動10゚を超える高速で東に移動していました。とりあえず、この観測は06時50分に小惑星センターに送っておきました。そのあと、ふと、人工天体ではないかと思い、地球を回る衛星軌道の軌道決定を行いました。すると、この天体はω=275゚.7、Ω=46゚.1、i=68゚.1、q=16500km、e=0.81の長円軌道を動く、周期が約71時間で公転する人工天体(Chandra:X線天文衛星チャンドラ)であることがわかり、07時16分、このことを小惑星センターと西山氏に連絡し、この件は一件落着となりました。07時17分には、村上氏から「板垣さん、お休みのところご面倒をおかけしました。中野さん、いつもありがとうございます。まだ、発見時から続いている緊張と安心で頭がふらふらしています。念のため連絡先等をお伝えしておきます」という連絡があります。07時22分には、ゴンザレスより「Murakamiの発見した新彗星の情報をありがとう。Murakamiさんには、新彗星発見おめでとうと伝えて欲しい。明日朝(約7時間後)に彗星を眼視観測するつもりだ」というメイルが届きます。

大失態発生

このように、11月4日07時00分には、新彗星発見の手続きがすべて終了し、後は、IAUCでの公表を待つだけになりました。ところが……です。その直後に大事件が起こります。07時18分に電話が鳴ります。受話器を取りました。「池谷です」という言葉に、瞬時、『彗星ですか』とたずねました。「そうです。ファックスを見ていただけましたか。昨日朝と今朝に送りました」。『いえ、見ていません。ファックスは別の部屋にあるんです。OAAの名簿の更新作業をやっていて、ちょうどその会費の納入時期で、名簿の更新に忙しく、昨夜と今夜は、そのファックスのある部屋に行っていませんでした』と池谷氏に話しながら、ファックスを設置してあるその部屋に向かいました。『あっ……、確かに届いています』。そして『実は、今朝、新潟の村上さんから新彗星の発見報告があって、山形の板垣さんが確認してくれ、ちょうど今その処理が終わったところなのです』と説明しました。氏は「いや、明るい彗星なのですでに発見されていると思っていました」と話します。私は『昨夜に留守番電話が4回ありました。電話をかけられましたか』とたずねると「いえ、ファックスだけです」とのことです。『そうですか。留守電は(別件の)名古屋のNHKの方からの連絡だったのでしょう』と答えました。そして、池谷氏には『すぐグリーンに連絡し、IAUCの編集を止めます』と答え電話を切りました。もちろん、この大失態にあわてふためいて、07時23分にダンに連絡を取ってIAUCの編集を止めてもらいました。

そして、池谷薫氏からのファックスを見ました。昨日(11月3日)朝の05時57分に届いていたファックスには「今朝の捜索で彗星を発見しました。すでに発見済みと思いますが、報告いたします。発見時刻は11月3日04時58分、赤経12h32m.7、赤緯-1゚38'、光度8.5等、視直径1'、移動は不明。25cm反射望遠鏡×39倍での発見です。なお、透明度は良かったもののシーイングは最低で、恒星がぼけたような見え方でした」とあります。そして、今朝11月4日04時54分に届いたファックスには「昨日、明け方の彗星状天体は、南東に移動して、11月4日04時30分には、赤経12h35m.0、赤緯-2゚01'に見えました。光度は8.0等、コマの視直径は2'で、昨日より広がって見えました」という確認報告がありました。これらの情報から池谷氏の発見報告を作成し、07時40分にダンに送付しました。そこには『ちょっと前に話したようにファックスが別の部屋にあるため、大きなミスをしてしまった。その部屋には昨日以来行っていなかった。Ikeyaからの電話連絡があって、初めて彼の発見を知った。彼は昨日にすでにその発見を報告してきていた。報告は次のとおりだ……』と書き添えました。

ところで、池谷氏の電話はIAUC編集を止められるぎりぎりのタイミングでした。もし、氏の連絡がもう少し遅ければ、あるいは、氏からの電話がなければ新彗星発見を公表するIAUCが発行されていたことでしょう。「事実は小説より奇なり」とも言いますが、偶然と言うのは、本当に不思議なものです。

しかし、この私の大失態が村上氏にはラッキーでした。もし昨日の内に私が池谷氏からのファックスを見ていれば、11月3日朝にヨーロッパ、米国の観測者にその確認を依頼したはずです。当然、村上氏の報告時にはその確認作業が終了し、『あぁ……、その彗星は、昨日朝に池谷さんによって発見されています』とまさに冷たく答えたはずでした。つまり、村上氏にはその発見のチャンスはなかったことになります。これまた、私の失態が起こしたラッキーないたずらというところでしょうか。しかし、より深刻な事態は、村上氏からの報告がなく、池谷氏からの電話もなかった場合、ファックスを見つけることがさらに遅れ、彗星がどこかで発見されてしまったというケースです。しかし、それは避けられました。また、池谷氏からの発見を伝えるファックスの後、まる1日の間、この明るい彗星がどこかで発見されなかったこともお二人にとってラッキーでした。

新彗星公表へ

ダンへの池谷氏の発見報告を見た村上氏から「池谷さんの発見と名前を連ねるのは大きな名誉です。ここに使用機材を報告しておきます」というメイルが、08時04分にダンに送られていました。氏の発見は46cm反射望遠鏡に×78倍を使用したものでした。村上さんのいう「名前を連ねる……」は、1960年代に新聞の一面に全面で紹介された池谷さんの記事を机の前に貼り付けていた私にはよくわかります。今でも、私もそういう機会があれば……と、まだ願っています。ダンがこの彗星の発見を伝えたのは、それから約3時間後の10時58分のことでした。そのとき、事務作業のためまだオフィスにいました。そこで、12時28分に報道各社に新天体発見情報No.169を送り、日本の眼視捜索者がひさしぶりに新彗星を発見したことを伝えました。

その夜(11月4/5日)、オフィスに出向いてくると、11月4日12時44分に門田氏から「村上さん。新彗星のご発見、おめでとうございます! 明るい彗星が日本人によって発見され、とても嬉しく思います。今日は打ち合わせがあって早めの出勤でしたので、昨夜は03時ごろに作業を終えていました。こちらでは観測できませんでしたが、中野さんと板垣さんの対応で即座に確認できて本当によかったです。今夜は晴れそうですので、明日の早朝に観測できることを期待しています」というメイル、12時59分には板垣氏から「眼視での発見、びっくりしてます。池谷さんは11月2日にも捜索していますが気がつかなかったとのことでした。また、昨日のイメージより今日の方が拡散していたような気がするとのことでした。もしかしたらバーストを起こしてまもなくの姿なのかもしれません。画像を見てください」というメイル、その返信が門田氏から13時48分に「明るい彗星が突然出現してびっくりですね。新彗星の情報が続々と寄せられて、ドキドキしながら読んでいます。上尾の天候を調べてみたのですが、04時ごろから曇ってきたようですので連絡いただいても確認作業は微妙だったかもしれません。日本人の発見は日本国内で支えたいと常々思っていますので、即座に確認していただいて本当に助かりました。今後の光度と形状の変化には注目ですね。偶然ですが4年前のレビー周期彗星(2006 T1)と同様、土星の近くで発見されました。画像では強く集光していますね。アストロアーツのWebニュースに掲載させていただこうと思います」という返信が送られていました。そして、村上氏からは16時44分に門田氏宛に「お祝いのメイルありがとうございます。板垣さん、中野さんにも感謝の気持ちでいっぱいです。明朝の観測、よろしくお願いします」という返信が送られていました。

さらに、ゴンザレスからは16時51分に「11月4日14時17分、強烈な黄道光がバックにある非常に晴れた空の下、新彗星を観測した。眼視全光度は7.6等、彗星には5'ほどのコマが見られた」という観測と「Ikeyaさんに私のお祝いを伝えてくれ」というメイルが届いていました。また、海外の望遠鏡を使用した位置観測が大崎の遊佐徹氏と東京の佐藤英貴氏から届いていました。

その夜、11月5日03時19分には、IAUC 9176が届きます。そこには「彗星の名前が池谷・村上彗星になったこと」「その初期軌道と光度観測や形状など」が報告されていました。彗星は、発見直後には7等級で観測されているようでした。それから半時間ほどが過ぎた03時44分にダンから「HICQ 2010/2011の原稿が届いた。予想以上に速かった。月曜日には印刷所に入れるつもりだ」というメイルが届きます。そこで04時48分になって『そうか。ここからそこまで2日と10時間で到着したことになる。前回より米国内の移動が早かった。きっと日本郵便は米国内の運搬手段を改善したのだろう』と伝えておきました。04時54分には、同夜に国内で観測された初観測が上尾の門田氏から届きます。また、05時29分には秦野の浅見敦夫氏、05時53分には守山の井狩康一氏、06時05分には八束の安部裕史氏、06時24分には栗原の高橋俊幸氏から観測が報告されました。CCD全光度は、9.0〜9.3等くらいでした。また、山口の吉本勝己氏からは、5日05時09分に行われた眼視観測が届きます。氏の光度は8.3等、コマ視直径が5'でした。

07時21分になって、ゴンザレスに眼視観測を送ってもらったお礼状を書きました。そこには『Ikeyaによると、11月2日朝の捜索時には、この新彗星に気づかなかったということだ』と書き添えておきました。そして、仲間にもこの彗星の発見を伝えるEMESを07時40分に送りました。そこには『静岡県森町の池谷薫氏は25cm反射望遠鏡×39倍、新潟県十日町市の村上茂樹氏は46cm反射望遠鏡×78倍を使用して、それぞれ独立して、11月3日04時58分と11月4日04時13分に明け方、東の低い空を眼視捜索中に、おとめ座の中に8等級の新彗星を発見しました。1日早く発見した池谷氏は、11月4日朝にもこの彗星を眼視確認しました。池谷氏の眼視光度は、11月3日に8.5等、4日に8.0等、村上氏のそれは9.0等でした。村上氏によると、彗星のコマの直径は約4'、彗星には東に約2'の尾が見られたとのことです。この新彗星は、60cm f/5.7反射望遠鏡+CCDを使用して、山形市の板垣公一氏によって2010年11月4日朝に確認されました。板垣氏によると、彗星は、強く集光した拡散状であったとのことです。池谷氏の新彗星発見は、153P/池谷・張周期彗星(2002 C1)に続いて7個目、村上氏の新彗星発見は、スナイダー・村上彗星(2002 E2)に続き2個目になります。ただし、発見個数は、彗星に名前のついたものです(以上は、新天体発見情報No.169から)。これまでの観測は、放物線軌道に若干フィットしなくなりました。そのため、下記の楕円軌道を計算しましたが、軌道(特にT、e、a、P)は、大きく不確かです。なお、彗星の眼視全光度を11月4日に7.6等(ゴンザレス;スペイン;バックに明るい黄道光がある)、8.3等(吉本勝己;山口)と観測しています』と発見状況を伝えておきました。

彗星の増光

ゴンザレスへのメイルを見たダンからは11月5日08時16分に「11月2日の朝に捜索したIkeyaの捜索時の極限等級はどのくらいなんだ」という問い合わせがあります。そこで、板垣さんから伝えられた「池谷さんの発見前夜、11月2日には彗星が見られなかった」ということを池谷氏に確かめることにしました。もし、これが事実なら彗星は急激に増光して、11月3日に池谷氏、11月4日に村上氏によって発見されたことになるからです。このことは、当日、EMESを池谷氏に送ったファックスに書いておきました。そこには『多くの海外の方からおめでとうというお祝いが届いています』ということもお伝えしておきました。

11月5/6日夜も晴天がまだ続いていました。オフィスに出向いてくると、11月5日10時03分には長野の大島雄二氏、17時44分には芸西の関勉氏からもその日の朝の観測が届いていました。また、池谷氏からも11時05分にその返答が届いていました。11月6日06時52分にその夜の業務状況をダンに連絡するときに『Ikeyaからの報告によると、11月2日は、11月3日より空の状態が良く、9等級の明るさであれば充分に発見できていたとのことだ』と伝えておきました。ダンは、11月7日04時38分到着のIAUC 9183でこの情報を伝えてくれました。

彗星の軌道

その後も彗星の観測は11月14日までに210個の観測が報告されました。この頃までの観測は、放物線軌道でフィットできました。しかし、その後の観測は放物線軌道からずれ始め、短周期彗星のようでした。上記の軌道は、2010年11月3日から26日までに行われた349個の観測から決定したものです。ただし、周期(軌道長半径)は、まだ不確かですが、周期が約5年ほどの比較的周期の短い短周期彗星のようです。

彗星の軌道 彗星の軌道要素と軌道図を示します。この図のΩは彗星の昇交点、逆さまのΩは降交点、彗星軌道を破線で描いているのが黄道面より南にある部分です。春分点方向は、図の右側です。図には、発見時の惑星(地球)の位置を示してあります。

彗星の過去の運動を推測するには、この軌道ではまだ不充分ですが、この軌道では、彗星は1998年に木星に0.78AUまで接近していました。また、過去にも何回か木星に接近していますが、この100年間に大きな軌道変化はありません。そのため、彗星が今のように明るい天体であるならば過去にすでに発見されていても不思議ではありません。しかし、そのような天体はないようです。

彗星の軌道図でわかるとおり、彗星は近日点通過後しばらくして発見されました。その位置も、地球から見て太陽のそば、地球から2.34AUも離れた位置で発見されたことになります。彗星は、今後も地球に接近せず、ほとんど同じ距離を保って移動していきます。

今後の光度と予報位置

彗星の形状変化 各地でのその後の眼視全光度が11月4日に7.4等(ハーゲンローザ;アリゾナ)、6日に8.8等(大下信雄;飛騨)、7日に8.5等(アギエール;ブラジル)、11日に8.5等(アモリム;ブラジル)、13日に8.2等(ゴンザレス)、18日に10.4等、19日に10.2等(吉本)と観測されています。彗星の形状は、発見時の鋭い恒星状から放物線状のエンベロープを持つコマの中心に細長い尾が伸びた形状に変わってきました。この形状は、過去にアウトバーストを起こした41P/タットル・ジャコビニ・クレサック彗星(2000年)、17P/ホームズ彗星(2007年)などによく似ています(門田氏による観測写真を示しました)。

最近バーストが観測された17Pは、ほぼ衝の位置近くでバーストしたため、その形状は背後にある尾の構造がよく見えず、単にコマが拡大しているように見えました。しかし、池谷・村上彗星は、ほぼ真横から見ているため背後に伸びた尾が見えていることになります。もう少し彗星までの距離が近ければ、より詳細に観測できたのに残念です。

以上のことから考えて、この彗星は池谷氏の発見の少し前にバーストしたものと考えられます。そのため、今後の光度予想はたいへん難しいことになります。彗星は、今後も拡散していくもののその全体の光度は変わりません。また、地球からの距離が大きく変化しないため、彗星の光度は拡散による減光の影響以外大きく変化しないことが考えられます。今後の光度変化の予想を図に示します。彗星の光度は、H10=4.5の光度曲線に沿って変化するでしょう。ただし、その拡散が続くはずです。そのため、実際には、見かけ上、アウトバーストがあった場合の光度変化に従って急速に暗くなっていくでしょう。彗星の今後の予報位置を下図に示します。

彗星の予想光度 彗星の経路図

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