天文雑誌 星ナビ 連載中 「新天体発見情報」 中野主一

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2007年2月5日発売「星ナビ」3月号に掲載

アンドロメダ大星雲の新星 Nova 2006-06a in M31

2006年6月1日の夜は、22時55分にオフィスに出向いてきました。梅雨どきに4日間連続して晴れていた空も、この夜はすでに全国的に悪化していました。しかし、まだ晴天が残っていた山形の板垣公一氏から23時08分に「NGC 5714の近くに19等星より明るいPSN(超新星状天体)、移動天体は確認できませんでした」というメイルが届きました。しかし、それ以外、NGC 5714の近くに発見された移動天体のその後の情報は、どこからも報告がありませんでした。結局、この天体は、各地で行われている全天サーベイでも発見されることもなく、我々の視界から遠ざかっていきました。

その夜のできことです。まだ晴天が続いていた北日本の山形の板垣氏から6月2日03時50分に「アンドロメダ大星雲に18.0等の新星を発見しました」と電話があります。メイルを見ると、氏の発見報告はすでに03時47分に届いていました。そこには「今夜、6月2日02時44分頃に60-cm f/5.7反射望遠鏡+CCDでアンドロメダ大星雲の一区画を撮影した10枚以上の捜索フレーム上に18.0等の新星を発見しました。この新星は、5月22日の捜索時にはまだ出現していません。発見後30分間追跡しましたが移動は認められません」という報告がありました。氏の発見は、04時07分にダン(グリーン)に連絡しました。この発見は、その確認のために八ヶ岳と上尾にも連絡しておきました。八ヶ岳の串田麗樹さんからは、05時41分に「板垣さんが、またM31に新星を見つけたんですね。八ヶ岳は曇りで確認できませんでした。昨日、夕方に板垣さんから電話があり、例のNGC 5714のPSNの画像を送って欲しいと言われました。そのとき、自分の見つけたものは、最近、誰もすぐには確認してくれないとぼやいていました。私は、今日は、電話ばかりで何時間も話して、耳がぼわ〜んとしてます」と続いていました。この夜以後は、北日本を除く日本の全域の天候は再び悪化し、また梅雨空に戻ってしまいました。この朝、07時00分に業務を終了し、曇天のもと帰宅しました。

その夜(6月2日)、22時20分にオフィスに出向くと。その日の昼間11時50分に板垣氏から「今朝のM31の新星ですが発見済みでした。ウェッブ・ページには目を通したのですが見逃してしまいました」というメイルとともに、板垣氏から報告のあった新星は5月22日に18.7等の光度で発見されていたことが記されていました。そのメイルを見て、てっきり中央局のウェッブ・サイトにあるのものと勘違いして、23時07分にダンに『多分きみも知っているとおり、Itagakiからの連絡では、M31の新星はすでに5月22日に発見されていたそうだ。とにかく騒がしてもうしわけない……』というメイルを送っておきました。すると、6月3日00時15分にダンから「もし、ItagakiかReikiが他の夜のこの新星の存在確認と光度を観測したならばそれらを報告してくれ」というメイルが届きます。『えっ、どういうことだ。もうウェッブ・サイトに出ているというのに……』と不可思議な気がしました。しかし、とりあえずこのメイルを板垣氏、門田氏と麗樹さんに転送しておきました。00時13分のことです。その夜の業務の終了間際の05時08分、麗樹さんから「M31にはずいぶんたくさん続けてざまに新星が出るなぁ……と思っていました。でも、最近、ずっと天気が悪くて確認できそうもありません」というメイルがあります。それ以外、この夜はこの新星の情報はありませんでした。

6月3日夜、オフィスに出てくると、その朝オフィスを離れたすぐあと、07時29分に板垣氏から「おはようございます。昨夜は寒気が入ったせいか予報に反して曇天でしたので、早く寝ました。M31のPN(新星状天体)の件では、私の不注意のためにご迷惑をおかけしました。晴れましたら光度観測してお知らせします」というメイルが届いていました。ただし、その夜も西日本では悪天候が続いていました。しかし、その日の朝(6月3/4日)は、山形は晴れていたことがわかります。この夜は、18時30分に自宅を出て南淡路のジャスコに出向きました。そして、ホームセンターで工具を購入して洲本に戻り、地元のスーパとジャスコでその夜と朝の食料品を買って、21時05分にオフィスに出向いてくると、その日の朝の08時57分に板垣氏から「おはようございます。今朝のM31のPNの観測です」というメイルとその出現位置、光度が報告されていました。光度は17.9等とのことです。さらに、その夜の20時08分には「こんばんは。いつの間にかM31の新星が私の発見となって公表されています。これ、どういうことでしょうか? 単純なミスとは考えにくいし、私には想像もできません。不思議です……」というメイルが届いていました。中央局のウェッブ・ページを見ると、氏の言われるとおり、確かに、この新星が板垣氏の発見となって公表されています。そこには、以前に板垣氏が送ってきた5月22日の発見が記載されていませんでした。

その夜、板垣氏の疑問について、21時16分にダンに『以前にも言ったとおり我が国は梅雨の時期にあたる。しかし、Itagakiは6月4日朝にこの新星の出現を次のとおり確認した。ところで、彼は「この新星の発見について、中央局のウェッブ・サイトに彼の発見が公表され、5月22日の発見の記述がない。これはどういうことなのか」と言っている。私には、“WeCARP”による発見は、Itagakiの新星と同じものであることは間違いないと思われるが……。ところで、8月はプラーグへ行くことにした。そこで再会することができるだろう』というメイルを送りました。23時28分にダンから返信があります。そこには「追加の情報をありがとう。我々は、直接、天文電報中央局に届いた情報のみを正式な発見報告と見なしウェッブ・ページに公表している。WeCAPPの人たちが彼らの情報を我々に送ってくるならば、私はそれを中央局のウェッブ・ページにつけ加えられるだろう。Itagakiの発見は、明らかに独立に行われているし、それが我々への発見第一報であった。だから、彼の発見を我々のウェッブ・ページに公表したのは何ら問題はない。……そうか、プラーグに来るのか。また会えるのを楽しみにしている。私のホテルは会場横のホリディ・インだ」と書かれてありました。

『そうか、板垣氏の以前に送ってきた発見は、別のウェッブ・サイトのものか』と納得しながらも、ダンには、23時40分に『5月22日の発見は、別のウェッブ・サイトにあるものか。了解した。……Yes、私もプラーグできみに会えることを楽しみにしている。何か、総会以外にプランがあるなら連絡してくれ。私も加わるから……』というメイルを送っておきました。その後の中央局のウェッブ・ページでは、天文電報中央局へ第一報を送った板垣氏が第一発見者として認定され、公表されました。なお、板垣氏が系外銀河に発見した新星はこれで4個目となりました。

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SWAN彗星(2006 M4)

7月11日は蒸し暑い朝でした。そしてその暑さは夜まで続いていました。20時45分、オフィスに出向いてくると、10時31分にバンコクの蓮尾隆一氏から「下記のURLにSWANイメージの動画がありますが、この絵の右端、0゚の緯線より下を左下に動いているものがあります。黄道系なので、黄緯−25゚くらいから黄緯+15゚くらいのところですが何でしょう? 明るいから惑星かなと思いましたが、黄緯が低すぎるなあと思っています。暇なときにお調べください」というメイルが届いていました。SWANのウェッブ・サイトに接続し、その動画を見ると、確かに明るい天体が動いています。でも、明るすぎます。誰でも見つけられます。そこで22時14分に『あっ、そうなのですか。あの画像は黄道系なのですか(みんなに馬鹿にされそうですが……)。確かにかなり明るい天体が動いてますね。これは誰でもわかる画像ですので、もうたくさんの報告が行っているのでしょうね。しかたがないから、測定のプログラムでも作りましょうか。ただ、SWAN画像から測定するいろんなソフトが出回っているみたいですが……』という返答を氏に送りました。すると、メイルに「今日は休日です」と書いてあったとおり、我が国の経済活動を支えている激務の蓮尾氏にしてはめずらしく、すぐ、22時28分に返事があります。そこには「きっと既知の天体なのだと思います。あまりに明るいし。月かなとも思いました。2か所抜けているところが太陽方向と反太陽方向で、緯度が0゚になっているから黄道系でしょう。しかし、こんな画像から位置なんて測れるのですかね? 専門に見ている人は、もっと詳しい絵を見ているのだろうと思いますが、これを見ているのは相当根気が要ります。LASCOのカメラで発見報告があがるのは本当に暗いときで、よく見つけるなあと思っているところです。ときどき気が向いたときに見ているだけでは到底一番乗りなどできません。すごく明るいものが入ってくればチャンスはあるのかもしれませんが、24時間見ているわけにもいきませんしね……」と書かれてありました。

しかし、こんな明るい天体について何の情報も来ないことが不思議でした。そこで、それ以前のSWANの画像を見てみました」。すると、5月以後のどの画像にも写っています。特に5月中旬の画像には全天1/4を覆うほど大きく写っています。5月に明るくなった彗星といえば、そうです……『な〜んだ。シュワスマン・ワハマン第3彗星か』と思って、位置を調べると、その予報に良く合っています。そこで、23時03分に氏に『今、SWANの5月からの固定画像を見てみましたが、すべてに写っていますね。特に5月には極の左側に2個の光点で見えています。それが左下に動いていって端でもっとも明るくなり、そのあと7月の位置まで動いています。多分、4月の画像にも写っているのでしょう(見ていません)。SW3のB核とC核ではないでしょうか』とメイルを送っておきました。すると、蓮尾氏からは、7月12日00時35分に「そうですね。それなら話が分かります。お騒がせしてすみませんでした。いつもお騒がせばかりで申しわけありません。しかし、ずいぶんと明るく見えるのですね。この画像ってライマンαだったような気がしますから、そうだとすれば、紫外線でこんなに明るいのですね。他にたくさんある彗星は見えないのかなあ。しかし、考えてみれば、彗星はライマンαでも光っているから当たり前なようにも思います。ありがとうございました」という返答がありました。

しかし、このような馬鹿げた話をしていたちょうどそのとき、2006年6月下旬以降に撮影されたSWANイメージ上、太陽近くの位置に米国のマトソンと豪州のマチアゾが発見した12等級の移動天体が確認されたことが、7月13日12時50分到着のIAUC 8729に公表されました。そのIAUCには「彼らがこの天体の確認を南半球の観測者に依頼した結果、豪州のラブジョイは、6月30日夕刻に100-mm f/3.5レンズで、うみへび座を撮影したフレーム上に12等級のこの天体を捉えた。このとき、彗星には約30"のコマが見られた。7月12日夕刻になって、マックノートもサイディング・スプリングの50-cmウプサラ・シュミットで撮影したフレーム上にこの彗星を捉えた。彗星のCCD全光度は12.3等で、彗星には強く集光したコマがあって、南南東に80"の尾が見られた」ということが公表されていました。

この彗星(2006 M4)は、9月には北半球でも観測可能となり、上尾の門田健一氏は、9月19日、21日、24日の早朝に北半球の観測者では、初めてこの彗星を捉えました。また、9月24日には土佐の下元繁男氏、9月28日には門田氏と筆者(サントピア・マリーナ)もこの彗星を捉えています。そして、みなさんも良くご存知のとおり、この彗星は10月下旬には4等級まで増光し、私たちを楽しませてくれました。

7月21日になって、この彗星の発見を知った蓮尾氏から、00時09分に「ソウルに来ています。SWANで騒いだときにSW3ではなくて、本当に新彗星が見つかっていたのですね。見直してみましたが、ほとんどわかりません。あんなものを見つけるのはどんな人だろうと思ってしまいます」というメイルが届きます。私もまったく同感ですが、それでもそれを見つける人がいるということは、まだまだ修行が足りないのでしょうか……、それとも、本気になってSWAN画像を見ていないのかもしれません……。

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超新星 SN 2006dy in NGC 5587

7月25日朝は、06時40分に帰宅しました。空は曇り空でしたが、長く続いた梅雨空もやっと薄晴れとなり、ようやく梅雨が明けたようです。ところで、今日は、2週間に1回の「大そうじ」の日です。丁寧にやりすぎたせいか、掃除が終り、睡眠についたのは14時過ぎのことでした。眠っていると、夢のはるか向こうで微かに電話が鳴っています。『何時だ』と時計を見ると、23時01分をちょっと過ぎていました。『これは寝すぎた。しくじった……』と思って受話器を取ると「あぁ……。中野さん」という声が聞こえます。山形の板垣公一さんのようです。『どうしたんですか。また何か見つけましたか』と問いかけると、「はい。NGC 5587に超新星です」と話します。『それでは、これからオフィスに出かけますので発見報告を送っておいてください』と返答しました。そして、急いで起床して自宅を出たのが23時30分、近くのコンビニでその夜の食料品を購入して23時42分にオフィスに出向いてきました。そこで、空を見上げました。どんよりと晴れた空ですが北極星は見えていました。しかし、低空にあるはずのアンターレスが見えません。でも、これで長かった梅雨も本当に終わりそうです。『まぁまぁの空だなぁ。観測するか』と思いながらオフィスのドアーを開けると、留守番電話が点滅していました。その最後は23時01分にかかってきた無言電話した。これは、多分、板垣さんが私が出勤していないことに気づき、このあと自宅に電話したのでしょう。

さっそくコンピュータの電源を入れながら、コーヒーを入れようとしました。しかし、もう一杯分のコーヒーしか残っていません。『いけない。急いだおかげで冷蔵庫に入れてあるコーヒーを持ってくることを忘れた』とあわてながら、とりあえず一杯のコーヒーを入れました。これが、私にとっては起き掛けのモーニング・コーヒーです。メイルを見ると、板垣さんの発見報告はすでに23時19分に届いていました。そこには「7月25日22時頃にうしかい座にある系外銀河 NGC 5587を60-cm f/5.7反射望遠鏡+CCDで撮影した捜索フレーム上に16.6等の超新星を発見しました。発見フレームは10枚以上。発見後、1時間の追跡では移動は認められません。フレームの極限等級は19.5等です。6月28日にこの銀河を捜索していますが、その夜の捜索フレーム上の出現位置に19.0等級より明るい星は見当たりません。また、保有する2002年1月20日までに同銀河を撮影した捜索フレーム上には、その姿が見られません」という報告と、その出現位置、および銀河中心位置が報告されていました。

もちろん、すぐに氏の発見をダンに報告しました。7月26日00時08分のことです。このメイルは八ヶ岳と門田氏にも送られました。すると、00時19分に板垣氏から「改めまして、こんばんは。今年の西日本の梅雨の大雨はひどいですね! 北国の山形は梅雨の影響はあまりないはずですが、今年は今までまったく晴れませんでした。今夜は、本当にしばらくぶりの捜索でした。報告を拝見しました。ありがとうございました」というメイルが戻ってきました。

さて、中央局への報告が終了し、この発見の処理が一段落したため、コーヒーを取りに自宅に戻るついでに洗車に出向くことにしました。洗車場(ガソリン・スタンド)に着くと、地面にはあたり一面いっぱいのかぶと虫がひっくりかえって群がっていました。一瞬、『わぁ……。都会に持っていけば高く売れるのに……』と思いました。そして、『おい。こんなところにいるとひかれるぞ』と話しかけながら、そばにあったスコップでかぶと虫をすくい上げ森に戻しました。しかし、もったいないことに私の車が走ってきた跡には、かぶと虫のひかれた“わだち”の跡が残っていました。でも、こんなにたくさん……。今年(2006年)は、かぶと虫の異常繁殖の年だったのでしょうか。そのあと、自宅でコーヒーを持って、再びオフィスに戻ってきたのが01時40分のことでした。

すると、上尾の門田健一氏から、01時09分に「先ほど帰宅しました。すでに沈んでいますが今夜も曇天です」というメイルが届いていました。そこで、氏には、02時25分に『晴れませんねぇ……。でも、ここでは、今夜は北極星は見え、何とか全天どんよりと晴れてきました(昨夜からその兆候がありました)。西日本は、明日くらいには梅雨明けだと思います。バーナード彗星の光度予想図を送ります。早く観測したいですね」というメイルを送っておきました。実は、この時期、小惑星センターの次期局長をどうするのか、その移転のための運営資金も考慮に入れて、スタッフの中には大きな議論と動揺のある時期でした。そのため、今夜も、多くのメイルが小惑星センターとの間に飛び交っていました。最後のメイルを彼らに送ったのは05時49分でした。そして、06時30分に帰宅しました。自宅の前には、久しぶりに犬ちゃんが待っていました。『こら……。昨日は、ジャスコに行けなかったのにどうしてこんなときに会うんだい』と言いながら、前もって買っておいたコロッケをあげました。

その日の朝は、前日までまったく静かだった蝉が、急にいっせいに鳴き始めていました。『えぇ……。こんな急に……』にと思いながらも、私には梅雨明けを祝って鳴いてくれるように聞こえました。この夜は久しぶりに晴れた空のもと、22時30分にオフィスに出向いてきました。すると、その日の朝に出したメイルの返事が小惑星センターより返ってきていました。そして、その日の夕刻18時43分には、板垣氏から「昨夜はたいへんお世話になりました。今夜、晴れたら観測して報告を……と思っていましたが、KAITサーベイでの観測が報告され、早々と2006dyに確定しました。今回の公表は、この道No.1のKAITOの観測が確認観測となり、とてもうれしく思います。中野さんには、いつも「普通なら完全に時間外」に対応をして下さいまして、重ねてお礼を申し上げます。お体にはお気をつけていただきまして、今後とも末長く「時間外」をお願いできれば……、なんて勝手に思っているところです。取り急ぎお礼まで」というメイルが届いていました。さっそく、板垣氏の発見が公表されたCBET 586を見ました。そこには、氏の発見と、7月26日14時頃に撮影されたKAITサーベイの捜索フレーム上にも確認されたことが公表されていました。

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