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天文雑誌 星ナビ 連載中 「新天体発見情報」 中野主一

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084(2011年3〜7月)

超新星 2011bc in NGC 4076

2011年3月下旬から4月上旬にかけて全国的に晴天が続いていました。そのせいか、3月29日20時28分には群馬県嬬恋村の小嶋正氏から、3月29日05時55分到着のCBET 2679で公表された「いて座第2新星2011」について「発見同日の3月28日朝に150mmレンズで行っているパトロール画像に写っていました。見落としです……」という報告、さらに4日04時32分には「新彗星発見」の情報(既知の彗星でした)も届きました。

その日(4月4日)は、朝からの快晴が続いていました。その夜の20時01分のことです。愛知県西尾市の小島信久氏より携帯に電話があります。氏によると「4月3/4日深夜にNGC 4076に16等級の超新星を発見した」とのことです。氏からは、これまでにも多くの超新星の観測や確認依頼が届いていました(2011年9月号参照)。小島氏の話では「おとめ座にある系外銀河NGC 4076を25cm f/6.3シュミット・カセグレイン望遠鏡を使用して120秒露光で撮影した捜索画像上に16.7等の超新星らしき天体(PSN)を発見しました。発見時刻は4月4日01時34分、出現位置は赤経12h04m32s.93、赤緯+20゚12'11".9です。超新星は、銀河核から東に6"、南に5"離れた位置に出現しています。同時に撮られた2枚の捜索画像上に、この超新星の出現を確認しました。明日(4月5日)に観測を速達で送ります」とのことです。氏には『わかりました。調べてみます』と言って電話を切りました。すでに発見公表されている超新星には該当する天体はありません。しかし中央局の未確認天体の確認ページ(TOCP)に、同じ位置に出現した超新星状天体が英国のアーバー氏から報告されていました。発見は4月2日07時59分、その光度は17.3等でした。そこで小島氏には、20時16分に『報告いただいた超新星はすでにTOCPに出ていますが、確認作業中なので報告しておきます』と伝えました。その小島氏の発見をダン(グリーン)に伝えたのは20時24分のことです。

それを見た大崎の遊佐徹氏から、20時52分に「明日はセンター勤務予定ですので、メイヒルのリモート望遠鏡で確認してみます」という連絡が入ります。その日の深夜、4月5日00時12分には、山形の板垣公一氏からその確認観測が届きます。そこには、当夜23時03分の確認観測(17.0等)と、4月1日00時19分の発見前の観測がありました。発見前、超新星は18.5等とのことでした。さらに上尾の門田健一氏から01時05分に「少し風が吹いているため待機中です。このPSNは離角が小さく銀河中心との光度差が大きいため、こちらの機材では分離できない可能性が高いです。なお、やや体調が不調で、さらに花粉症の鼻水で集中できないため、今日は早めに作業を終えます。観測の処理が遅くなって、いろいろご迷惑をおかけしております」という連絡が届きます。そこで小島氏と板垣氏の観測をTOCPに入力し、そのことをダンに連絡しました。4月5日05時28分のことです。4月6日夕刻には小島氏からの速達が届きます。そこには、この超新星の発見の経緯が丁寧に説明されていました。

それから2日後の4月7日08時29分には、3月に軌道改良した彗星の軌道リストを仲間に送付しました。その夜の23時16分になって、この発見が公表されたCBET 2684が届きます。そこには、小島氏の発見も「独立発見」として掲載されていました。そこで4月8日06時58分になって新天体発見情報No.177を発行し、この発見を報道各社に知らせました。そこには『この超新星は、すでに4月2日07時59分に17.3等で発見されていましたが、まだ確認作業中で、小島氏の発見は独立発見として認められました。なお小島氏は、2010年7月22日に超新星2010glの発見を報告していますが、この発見は「independently discovered」と公表されましたのでお知らせしませんでした。今回の発見については「independent discovery」ですので、この情報でお知らせすることに致しました。小島氏は1970年に70P/Kojima周期彗星、1972年にC/1972 U1(Kojima)を発見しています』という注釈を入れました。

さて、本誌2012年6月号にある3月10日に届いた遊佐氏のメイルの中で「3月14日に引っ越しのため、自宅の回線が数日間使えなくなりそうです」と連絡があったことを覚えていますか。しかし、この7時間半後に東日本大震災が起こり、遊佐氏もその震災に巻き込まれます。そのため私は『遊佐さんの引越しはどうなったのでしょうか。そういえば、その結末を聞いていませんでした』と同号に書きました。その引越しの知らせが4月24日16時49分に遊佐氏から届きます。そこには「震災の最中、大崎市内に転居しました。引越し業者が中々手配できず、NTTやADSLの移転手続きは1か月以上もかかりました。最近、ようやく生活も落ちついてきました。ぼちぼち観測にも復帰したいと思います。今後ともどうぞよろしくお願いします。新住所は次のとおりです」という連絡がありました。ということで、やっと引越しも終わったようです。『遊佐さん。ぼちぼちと観測を始めてください』

LINEAR彗星(2002 VQ94)=レモン新彗星(2011 H1)

2011年5月14日11時44分に、東京の佐藤英貴氏から「最近発見されたレモン新彗星(2011 H1)は、2002年に発見されたLINEAR彗星(2002 VQ94)と同じものである」という驚くべき報告が届きます。氏は、ドイツのマイク(メイヤー氏)が主宰するCOMET-MLにもこの事実を投稿していました。そのため、マイクからも同日この情報が伝達されてきました。

レモン新彗星の発見過程は少し複雑でした。この彗星は、レモン山の1.5m反射望遠鏡で同年4月26日にうみへび座を撮影した捜索フレーム上に、ギブスが19等級の小惑星状天体として発見しました。発見当時、この天体は東南方向にかすかに拡散しているように見られました。スペースウォッチ・サーベイで1.8mスペースウォッチII望遠鏡を使用して行われていた4月14日の捜索画像上に発見されていたことがわかり、この天体にはスペースウォッチ・サーベイで発見された小惑星として、仮符号2011 GK71が与えられました。しかしレモン山からの発見報告の翌日、4月27日に行われた確認観測では、イタリーのソステロとギドーがムールック近郊にある15cm屈折を使用して、この天体が近くにある同程度の恒星より拡散していることを報告しました。そのため仮符号2011 GK71は取り消され、新たに新彗星発見として、レモン新彗星、彗星符号C/2011 H1が与えられました。その後の4月29日に行われたキットピークの2.3m反射での観測でも、ほとんど恒星状であるものの5"のコマと東南東に9"の尾が見られました。また、スカッチが1.8m望遠鏡を使用して行った4月30日の観測でも、天体には淡い9"のコマと東南東に12"の尾が認められました。しかしスカッチは、キットピークで発見された4月14日の画像を調べた結果、天体は小惑星状であったことを報告しています。なお、ギブスは、2011年3月29日に撮影したカタリナ・サーベイの捜索画像上にこの天体の観測を見つけています。

その確認から約2週間が経過した5月14日になって、東京の佐藤英貴氏は、昨年(2010年)5月5日の観測で途絶えていたLINEAR彗星(2002 VQ94)を観測しようとしたとき、その予報位置がこの彗星(2011 H1)とほぼ同じことに気づき、これら2個の彗星(2002 VQ94=2011 H1)は、同じ天体であることを発見したことになります。あとになってレモン彗星(2011 H1)の位置をチェックすると、新彗星の位置はNK 1978(=HICQ 2010/2011)にある軌道から1"以内に収まり、そのずれはありませんでした。氏から報告のあったとき、すでにICQコメット・ハンドブック(HICQ 2011/2012)のカタログページの校正稿が手元にありました。近日点通過時刻順に並べられたカタログには、これら2つの彗星が並んで掲げられていました。これに気がつかなかったのも怠慢ですが、2011 H1が発見されたとき、『近日点通過が2006年で、こんな昔に近日点を通過した彗星が発見されていないのはおかしいな』とも思っていましたが、我が国の発見でないため、彗星の同定チェックを怠りました。

昨年(2010年)のマースデン氏の死去による混乱がまだ続いていたとはいえ、これは、小惑星センターと天文電報中央局の過去にない大きな失態でした。なお、佐藤氏の同定は、5月15日07時00分にOAA/CSのEMESで仲間に連絡しました。

超新星 2011eh in NGC 3613

2011年7月は、来日中のグリーン氏の案内で7月13日から18日まで外出していました(本誌2011年10月号特別編参照)。7月18日、氏は「次は、北京で会おう」と言って日本を離れていきました。自宅に戻ってきたのは、その日の19時40分のことでした。折りしも日本には台風6号が近づいていました。7月19日には台風は四国沖まで接近しました。しかし翌20日には、台風がまだ接近中だというのに雨も風もやんでしまいました。その後、台風は静岡沖へと去っていきました。

台風6号の影響が各地に残るその夜(7月20/21日)のことです。7月21日00時07分に携帯が鳴ります。広島の坪井正紀氏からです。『何か、見つけたな』と思い、携帯に出ると「NGC 3613に超新星を見つけました。発見報告を送っておきました」と話します。『わかりました。見てみます』と答え、電話を切りました。氏からの報告は23時59分に届いていました。そこには「本日の観測において新しい超新星らしき天体を発見しましたので報告いたします。既知の超新星はもとより、ノイズ、ゴースト、既知の小惑星、変光星について一応確認したつもりです。ご確認のほどよろしくお願いいたします。報告内容で不備がありましたら連絡ください。現在広島は曇ってしまいましたが、発見後2時間の間に2枚撮れた画像では移動は確認できませんでした。高度もかなり低くなっています」というメイルとともに「30cm f/5.3反射望遠鏡+CCDを使用して、2011年7月20日夕刻、20時30分頃におおぐま座にあるNGC 3613を30秒露光で撮影した捜索画像上に16.2等の超新星を発見しました。台風通過後の雲の多い天気でしたが、発見フレームより2時間の間に2枚撮影できました。そのフレームからこの星の存在と移動のないことを確認できました。この超新星は、2011年5月19日と6月3日に行った捜索時には、まだ出現していませんでした。また、DSS(Digital Sky Survey)にある過去の画像上にもその姿は見られません。超新星は、銀河核から西に36"、南に83"離れた位置に出現しています」という発見報告がありました。氏の報告は、01時31分にダンに送付するとともにTOCPに入れました。

この報告を見た上尾の門田健一氏から、03時01分に「台風の接近により、空は曇りで時折り強い風が吹いています。彗星会議ではお世話になりました。グリーン氏を交えてお話ができたことは大変に嬉しく思いました」というメイル。夜が明けた07時03分には山形の板垣公一氏からのメイルが届きます。坪井氏からは07時31分に「距離が約9000万光年ということで、SN 2011Bと同じように明るくなってくれればうれしいですね。ピークを過ぎていなければですが……。なにせ、発見前の最後の捜索が6月3日ですから、その後、発見までの状況がわかりません。広島では台風一過で快晴を期待したのですが、雲量7の隙間を撮影した中で見つけたものです。発見後は雲量9で、ほとんど確認が難しかったのですが、なんとか2時間で2カット撮れ、やっと確認できました。長梅雨とCCD故障で長期観測できていなかったのですが、なんとか元のペースに戻れそうです」という返答が板垣氏に送られていました。また、大崎の遊佐徹氏から08時19分に「これから仙台出張のために、今日と明日は時間がとれません。明日の夜に戻って晴れたら大崎で観測します」という連絡も届きます。

その日の午後14時02分に自身の捜索画像を調べた板垣氏から「坪井さん発見のPSNですが、7月17日21時39分に撮影した画像に写っていました。光度は17.5等です。彗星会議終了の夜……、見逃していました」という発見前の観測が報告されます。それを見た坪井氏からは19時37分に「しっかりカバーされているんですね、さすがです。彗星会議から帰られて、お疲れだったのでしょうか。私も17日は少しの晴れ間を捜索しましたが、的外れのところでした」というメイルが送られていました。

その夜(7月21日)、香取の野口敏秀氏から「TOCPにあるPSNを23.5cmシュミット・カセグレインで7月21日20時41分に観測しました。光度は16.0等。発見時刻から推測すると日本での発見でしょうか。台風の影響で断続的に雲が来襲していて、合間から撮った数フレームから測定しました。画像の限界等級は17.5等。6フレーム撮像し、すべてに存在しています。その後、曇られてしまいました……」という報告が届きます。さらに22時29分には、坪井氏から「昨夜はお世話になりました。2日目の確認画像が撮れましたので送ります。6枚のコンポジットです。7月21日21時47分、光度は15.8等でした。なお、極限等級は19等級です」という観測が送られてきます。その日の朝までに届いたのは、板垣氏の発見前の観測、野口・坪井両氏の観測でした。そこでこれらの報告をまとめて7月22日05時28分にダンに送付しました。

それから1日後の7月23日夕方、18時28分に遊佐氏の観測が中央局に送られていました。そして、18時47分に遊佐氏から「日本時刻、お昼過ぎに坪井さんのPSNを観測しました。仕事がばたばたしていて、報告が今になりました。14等台まで明るくなっていますね。さて、先ほどカーボンコピー(CC)したように、観測をグリーン氏に報告しました。メイヒルの25cm反射で7月23日12時50分に14.3等でした」という報告が届きます。また、坪井氏からは7月24日02時43分に「確認観測ありがとうございます。私の機材では、今夜の観測では15.1等でした。徐々に増光しているようです」という報告があります。また、7月25日13時40分には坪井氏から「7月20日に発見報告をして5日目になりますが、確定するまでに結構時間がかかるものなのですね。物によっては、2か月前のものもまだ確定してないようですので気長に待つこととします」というメイルが届きます。この超新星は、その氏のメイルからさらに約1週間が経過した8月3日13時05分到着のCBET 2776で公表されました。そこには、7月30日に東広島でスペクトル観測が行われたことが紹介されていました。それを知った坪井氏からは21時38分に「本日、やっとSN 2011eh in NGC 3613として公表されたようです。発見以来、いろいろご心配いただきありがとうございました。半分あきらめかけていましたが、一応、一安心です。また次に向かうことができそうです」というメイルが届きます。翌日の朝、08時30分に新天体発見情報No.178を発行し、この発見を報道各社へ伝えました。

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