天文雑誌 星ナビ 連載中 「新天体発見情報」 中野主一

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2006年10月5日発売「星ナビ」11月号に掲載

IAU総会へ

8月14日から25日まで、プラーグ(プラハ)で第26回IAU総会が開催されます。昨年、1988年から1989年にかけてハーバードで同僚であったスロバキアのリボー(クバチェク)とアドリアン(ガラッド)に『今年の夏、プラハで会おう』と約束したのが気がかりですが、すでにプラハには3回訪問したことがあります。そのためもあってか、なかなか出かけようという気が起こりません。それでも、何を思ったのか、参加費の安い期間の最後の日に『今回の参加費は8.5万円か、高いなぁ……』と思いながらレジストレーション(参加申込み)だけをすませてしまいました。過去3回の訪問の際の記憶に残っている『プラハの美しい街並みと、この街はなんて美人(女性)が多いんだ』ということのみが心の支えです。

ところがです。出発の間際になって航空券を探しましたが、出発日が観光シーズン、さらにお盆の時期に重なるためかエコノミーのチケットが残っていません。しかたなしに、大韓航空のビジネス・クラス、ソウルからプラハへの直行便を予約しました。ビジネス・クラスをとるのは稼いでいた1980年代中ごろ以来のことです。ただ、このビジネス・クラス、格安チケットのためかエコノミーの格安チケットとさほど大きな値段差はありませんでした。そのかわり、関西空港から一度ソウル・インチョン空港に出向き、プラハへの直行便に乗らなければいけません。『まぁ、日本からのプラハへの直行便がないことを考えるとこの方がかえって楽か……』という気もします。

さて、3年毎に開催されるIAU総会に出席するのは、1985年のニューデリーで開催された第19総会以来これで7回目となります。途中、1991年にブエノスアイレスで開催された第21回総会を欠席しました。しかし、この21年間に総会出席者も様変わりして、私の尊敬している海外の偉大なプロフェッショナル(天文学者)の方々の出席は大変少なくなりました。私より年上の日本の学者の方々もその多くの方は引退されてしまったためか、知っている方はもう数人しかいなくなりました。中には「アマチュアの分際でなぜお前が出席している」とにらみつける方もいらしゃったのですが、それらの方も見かけなくなりました。また、私は自分の歳以下の日本人の若い(50歳以下の)学者の方々とお付き合いをしていないためか、日本人らしい方を見かけてもどなたも名前がわかりません。ここ何回かの総会出席でそのような感じを強くして今回の総会を最後の出席にしようと出かけることにしたわけです。

8月14日01時28分に星ナビ編集部に原稿の校正を送り、自宅に帰り出発の準備を始めます。そしてその日の朝、06時50分発の高速艇で関西空港に出向きます。関西空港発は09時40分、インチョン空港着が11時30分、そこで14時00分のプラハ行きに乗り換えて到着が現地時刻18時00分CEST(以下JSTがついてない時刻は現地時刻)です。時差が7時間ありますので11時間のフライトです。観光シーズンのためかビジネス・クラスも満席でした。でも、すべて韓国人の乗客で一人の日本人もいないようです。飛行機は予定より30分遅れで到着しました。空港が改修されていました。12年前に初めてこの空港を訪れたとき、その空港ビルの屋上でリボーが手を振って出迎えてくれました。つまり、すべての乗客の乗降が見える空港ビル(当時の空港はこのビルのみ)ももうありませんでした。しかし、EUに加入したお陰か通関も簡単でした。空港外に出て、乗合タクシー(CEDAZ)を拾います。4組の客が乗り、最後に到着したのが私のホテルでした。料金は約2500円(480KC)です。長距離を乗った割には安い値段でした。

ホテルでは9階の部屋が用意されていました。しかし、喫煙できる部屋がいっぱいで「禁煙ルームしか残っていない」と言います。それでは困るとゴネて「まず部屋を見てから決めてくれ」とようやく探してくれた4階のツイン・ベットの部屋を見ましたがとても宿泊者用の部屋とは思えません。そこで9階のもとのキング・ベットの部屋に落ち着くことにしました。部屋に入ってすぐリボーに電話を入れました。娘さんが出ましたがすぐ私の電話と気づき彼を呼んでくれました。

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会議場へ

翌8月15日、06時ごろに起床して外を見ると歩いている人が傘をさしています。雨が降っているようです。服装も長袖かセーター姿で半袖の人は見かけません。『外は寒そうだ。これは困った。長袖のセーターと上着は1枚づつしか持ってこなかった』と思いながら朝食をすませ、会場に出向きレジストレーションをすませました。さっそくコンピュータ・ルームへ出向きました。しかし、無線LANの使い方がよくわかりません。そのためLANケーブルをモバイルに接続して使用します。そして14時からの総会に出席しました。そのあと、会場でダン(グリーン)に出会いました。彼は「おい。お前。惑星が12個になるのを聞いたか。小惑星という名前もなくなる。小惑星センターも小天体センターに改名かも……」と笑いながら話します。

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アンドロメダ大星雲の新星 2006-08a in M31

19時すぎホテルに戻り、ホテルから接続できるインターネット料金を見ました。すると、一番安い500-Kbpsのラインでも1日あたり2500円もします。『一昔前の日本のホテル並だ。これはたまらん……』とびっくりしました。そこで1つ名案が浮かびました。会議場は私の部屋の目の前、200-mほどのところにあります。『ひょっとしたら会議場からの無線LANを拾えるかもしれない』と思って無線LANを起動すると、ごく微かながら会場からの電波を拾います。微弱な電波ですがこれで通信を確立できました。19時50分には美星の浅見敦夫氏とスカイプもつながりました。浅見氏と会話をしながら午前中に会議場で見たあとのメイルをチェックします。すると、山形の板垣公一氏から17時43分に「日本は16日00時を過ぎました。M31の中に18等の新星らしき天体を見つけました。このメールを受けていただくことができましたら、よろしくお願いします。発見は、16日22時41分JSTです。最初の画像からだいぶ時間が経ちますが大きな光度変化はありませんので、超新星の可能性はないようです。なお、M31のウェッブ・ページ等は確認しましたがまだ載っていません。8月6日と13日UTの画像にはその姿はありませんでした」というメイルが届いています。

そこで、19時51分に氏の発見を会議場を挟んで反対側のホテルに居るダンに送りました。ここに来ての始めてのメイルですので、21時48分に板垣氏に『グリーンへの発見メイルは、届きましたか? 前のホテルにいるのにメイルを送るというのも変ですが、メイルが届いているようなら連絡してください。浅見さんからはスカイプで電話がありました。音声の遅れもなく、国内のスカイプよりもきれいに話せました』というメイルを送っておきました。この夜は旅の疲れもあり、これで休むことにしました。

総会出席の翌日8月16日、まずコンピュータ・ルームへ行ってメイルを読みます。すると、昨夜の22時30分に板垣氏から「日本ではおはようございます。中野さん、すみません。今起きました。メイルは届いています。あれから全天ベタ曇りになり寝てしまいました。今、起きてメイルを拝見しました。ありがとうございます。画像は10枚以上撮影しました。存在は間違いありません。その間少し増光したように測定しましたが、雲のすき間からの観測で自信がありません」というメイルが届いていました。

この日は、まず会場で見かけた吉川真氏にメイルを送り、氏を探し出し無線LANの使い方を聞きました。ダンには、昨夜の板垣さんの新星の報告を受け取ったことを確認しました。すると、ダンは「彼にもう1夜観測するように伝えてほしい」とのことでした。そこで、09時45分に板垣氏に『今夜、もう一度観測して光度をください。超新星だったらいいねぇ……』というメイルを送っておきました。ダンには、10時02分に『板垣氏の新星は10枚以上のフレームに写っている』との連絡があったと報告しておきました。

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太陽系の惑星が12個に

ところで、この日のIAUの日刊紙を見ると、ダンが言う「惑星の定義」の採決を8月24日の閉会式の総会議場で行うことが掲載されていました。その惑星定義委員会の決議案によると「太陽のまわりを公転しているこれまでの惑星9個に、セレス、冥王星、その衛星カロン(米国メディアは、シャロンと言っている)、2003 UB313(同じく、Xenaと言っている)を加え12個にする。これらは直径が800-Kmより大きく、自分の重力で球形が保てるものである。惑星を8個の古典的惑星とそれ以外の準(矮)惑星に分ける。冥王星とカロンは二重惑星である。それ以外のほとんどの天体は微小天体という。従来より使用されてきた小惑星(Minor Planet)という呼び方は、今後IAUの公式用語としては使わない」というものでした。従って、大惑星(Major Planet)という表現もなくなるというのが私の理解です。『こんなの通るわけないよ。冥王星を省けば良いんだ……』と思いながら、何人かの参加者にたずねてみましたが、彗星や小惑星の観測・軌道に興味のあるほとんどの人はそういう意見でした。しかし、私の記憶では、1985年以来の21年間に総会議場で出席者全員による投票は初めてのことです。他の決議案もありますが、IAU幹部はこの惑星の定義を今回の総会での重要課題と考えているのでしょう。この議案は、第5番目の決議案(Resolution 5)としてあげられていました。

そして、NEOのシンポジウムで1988年のボルチモア以来の再会となるセカニナの発表を『あのときは駐車違反でもめたなぁ……』と思いながら聞くことにしました。しかし、そのときからすでに20年近く経ちますが、彼はまだ元気なようでした。続いて、ダンと16時からの第6委員会に出席しました。今回の総会で必ず出なければいけない委員会の1つは終了しました。もう1つの微小天体命名委員会のミーティングに出席すれば、私のオフィシャルな仕事は終わりです。そのあと、NEOのシンポジウムで出会った磯部しゅう三氏(しゅうは王へんに秀)と会議場から2駅向こうのミューゼアムへ出かけます。『そういえば、1994年、ムルコス博士とリボーがここを案内してくれたっけ……。この向こうにはケプラーの天文時計の広場があるはずだ』と内心なつかしく思いながら通りを歩きました。氏と夕食をすませます。『うまかった。もう一度来たい』という満足な夕食でした。帰りにマックドナルドでハンバーガを夜食用に買いました。ロンドン経由の氏の話によると、イギリスでのテロ騒動のために、まだバッグが届かないとのことでした。

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小惑星 2006 OE6の発見

磯部氏との食事が終わり、ホテルに戻ったのは21時のことでした。会場の無線LANにつなぎます。すると、16日19時28分、板垣氏から、今度は「小惑星を発見した」というメイルが届いていました。そこで、この小惑星が新しいものかチェックしようとしましたが、無線LANが何度も途中で途切れ調べられません。『むっか……』としますが、無料LANだからしかたありません……。そこで、21時24分に氏に『インターネットの状態が悪く調べられません。とりあえずもう一夜観測をください』というメイルを送っておきました。このメイルは浅見氏にも転送しておきました。

翌日17日、会場に出向いてメイルを調べると浅見氏から17日07時10分に「板垣さんの小惑星ですが、MP-Checkerで調べてみました。付近には2006 OE6がいます。追跡用の位置推算はバイサラ軌道からです」というメイルが届いていました。氏のメイルを読んだのは09時36分のことでした。そのとき、浅見氏からスカイプで呼び出しがあります。そこで『おはようございます。どうもありがとう。やっぱりホテルからは調子が悪いです。外部からつないでいるのがばれたのではないかな。今、スカイプをくれましたがイヤホーンを忘れてきました。すみません。またあとで……』と返答しておきました。その4分後の09時40分に板垣氏から「小惑星を調べをいただきありがとうございました。MP-Checkerの使い方が良くわかりませんでした。メイルをもらってから山に来ました。昨夜の画像で写野の10'以内には、(44941)、(44832)、(10008)、(72173)の小惑星がいることを確認しています。10'以内には19.5等より明るい移動天体はありませんので2006 OE6と思われます。今夜、晴れましたら観測して報告します。なお、この小惑星は、昨夜、NGC 7596の近くにいました。MP-Checkerで調べても、わからなかったので、明るいし、99.9%本物の超新星と思いました。さっそく中野さんへの発見報告を書きながら、念のため移動確認をしましたら、次第に動いてくのが確認できました。残念! 今後の捜索に良い経験をしました。ありがとうございました」というメイルが到着しました。

そこで、モバイルの中に入れてきた観測データを探すと、この小惑星の2006年7月18日と21日の観測が見つかりました。軌道を計算すると、楕円軌道がでます。そのため、板垣氏の見つけた小惑星は、まず、この小惑星で間違いありません。そこで、10時03分に氏に『私のコンピュータ(ここに持ってきている)には、7月の2夜の観測しかありません。もともと2夜しかないのかもしれません。たぶんこれと同じもののようですね。ただ、7月の2夜の観測と1ヶ月離れた1夜の観測とのリンクなので確定できません。暇でしたら今夜、観測してください』というメイルを送っておきました。

この日には11時39分に彗星状天体の発見が海外から届きます。この確認を仲間に依頼しましたが、13時29分にこれがダンにも届いていることを確認して、その処理は彼にまかせることにしました。

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プラハ城へ散歩

8月18日14時すぎ、晴れている中、ふと地図を見ると会場から山越えをしてブルタバ川に出て北上すると、1994年にムルコスとリボーに案内してもらったプラハ城に出ます。そこまでの距離はおよそ5-Kmほどです。そこで地図を頼りに歩いてみることにしました。まず会場から西に歩き、山越えをしてブルタバ川に出て川沿いを北上しました。しかし、暑くて…暑くて…ダウンし、歩くのをあきらめて横を走るトラムに乗りました。カルブ橋のほとりで下車し、橋を渡り、丘の上にあるプラハ城を目指します。しかし、もう一度やってくる機会があることと、一度見ているため途中でそれも挫折し、近くにあるはずのマロストランスカ駅を探します。疲れきって近くの公園で休息。すると、目の前に駅があります。そこで、ミューゼアムを経由し会場には15時半ごろに戻ってきました。

この夜はコンサートがあります。そのあと古在先生と夕食の予定です。18時すぎコンサートを聞くために先生と合流しました。しかし、コンサートをキャンセルしてミューゼアムに向かいます。ただ、私は、明日、ブライアン(マースデン)とクレット天文台に出かける予定でした。しかし、その日程をまだ聞いていません。そこで、駅であった山岡均氏に『コンサートでマースデンかグリーンを見かけたらホテルに電話をしてくれる』ように伝言を頼んでおきました。古在先生とは、お土産用におもちゃ屋とチョコレート屋を探しました。このとき、ムステク駅の地下にスーパーマーケットを見つけます。この日よりあとは、毎日ここに買い物に来ることになります。夕食は、磯部氏と同じレストランで、同じものを食べました。あとで食べたケーキもおいしかった。『こんなにおいしいのならここに住みたい』と思ってしまいます。古在先生とは、地下鉄に乗り21時すぎにホテルに戻りました。

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退屈な週末

その夜と8月19日朝、ブライアンからの連絡を待ちました。しかし、連絡がありません。彼に伝言を頼んだ山岡氏も連絡が取れなかったようです。また、ダンに電話してブライアンの予定を確かめようとしましたが、ダンはすでにボヘミアの旅行に出発したようです。そこで、この日は自由行動することにしました。09時すぎ、会場に行ってモバイルでメイルをチェックしました。しかしもうれつに眠くなり、浅見氏とのスカイプも中断し、ホテルに戻り14時過ぎまで眠りました。

8月20日、08時半に朝食を取り会場に出かけました。しかし、今日は日曜日で入り口は閉まっていました。聞くところによると16時にはオープンするとのことですが、そんなに待てません。そこで、会場の外から無線LANにつなぎました。というのは、前夜に書いたメイルをリボーに送っておきたかったからです。

彼は、閉会式が行われる8月24日朝に迎えに来ます。前もっての彼との計画では、閉会式に出ないでボヘミア盆地を見学し、そのままスロバキアに向かうという予定でした。しかし、惑星の定義がどうなるか、ぜひその決議に加わりたいしその光景をながめたいという気持ちが出てきました。そこで、8月20日09時37分にリボーとアドリアンに「ここに到着して6日が過ぎた。しかし、たいくつな毎日を過ごしている。というのは、ここは市の中心から離れているし、マクドナルドすらここにはない。ところできみはTVか新聞で惑星の数が12個に決議されようとしていることを聞いたか。IAUの新聞によると、その決議は、8月24日の閉会式で行われるということだ。この歴史的な閉会式は14時から総会議場で行われる。幸いにも私は会議場に入るパスを余分にもう一枚持っている。どちらか私と一緒にそれをながめないか。ただしもう1つのパスは、私のパスとは違って議決権のないものだ。連絡を待っている。でも、まだ3日間もたいくつな日を過ごさなければいけないのか。しかし、ただ一つの救いは、前にも言ったとおり、プラハには美人が多いことだ。ながめているだけでも楽しくなる。私はこの街が大好きだ……」というメイルを送っておきました。

そのメイルを送ったあと、モバイルを下げたまま一度歩いてみようと思っていた会場北側にある長い橋を渡ってみました。渡り終えると、そこはもう次のイー・ピー・パブロバ駅でした。少し歩いて教会の広場で休んだ後、また橋を渡り、10時50分にホテルに戻ってきます。でも、あとで気づいたことですが、その教会の50-m向こうはもうミューゼアムの駅でした。

午後に予定されていたIAUのオンドレヨフ天文台の見学旅行に参加することをやめて、16時まで寝ることにしました。その間に天文ガイド誌の原稿を仕上げ、17時40分に外出。フローレンツまで地下鉄を乗って、ムステクまで歩き、さらに西に向かうとケプラーの天文時計のある広場に出ます。写真を撮って、ムステクまで戻り、夕食を購入。ミューゼアムへの戻りに古在先生が買った同じ店でチョコレートを3個購入し、19時すぎにホテルに帰り無線LANに接続します。すると、17時50分に板垣さんの2006 OE6の第2夜目の観測が届いていました。19時30分には浅見氏からスカイプあります。そこで、板垣氏の観測のチェックはそちらで行うように頼んでおきました。そのお礼に、スカイプ経由でプラハのダウンタウンの写真を送ってあげました。浅見氏は、板垣氏の小惑星は2006 OE7であることを確認し板垣氏に連絡してくれました。

その最中、21時20分にリボーからの「たいくつな日々ももう少しの辛抱だ。そこはプラハの郊外で付近には何にもないのを知っている。きっと旅行者にはたいくつな場所だろう。私は09時から10時の間にお前のホテルに到着する。そのあとボヘミアの観光地を見学しよう。惑星12個の件は新聞などから知っている。しかし、私は、今、天文学者ではないので、アドリアンを誘ってやってくれ。彼はお金がないので、総会には出席できなかったんだ。私はその間、どこかで時間をつぶせるから……。では残りの日を楽しんでくれ。プラハは美しい街だ。残念なことにチェコとスロバキアは分離されてしまったが、私もプラハで生活したことがある。大好きな街だ」という返信がありました。そこで、その後に何度かアドリアンと連絡をとって、閉会式は彼と出席することにしました。

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決議採択の討論会

8月22日、会場でダンからのメイルを読んで10時30分に彼の出席しているミーティング・ルームへ出かけます。ブライアンもいました。もちろん、クレットへの旅行をすっぽかされたことを怒りました。しかし、彼も私を探していたとのことです。11時からは、天文学史のミーティングを聞いて12時45分から総会議場で行われている惑星定義についての討論会に出向きます。定刻より10分ほど遅れて入場すると、見たような方が話しています。どうも渡部潤一氏のようです。しかし、それにしては頭の上が白すぎます。でも、その話を聞いていると、やはり潤一さんでした。氏は、この惑星定義委員会の7名の委員の一人なのです。そのあと討論に移ります。多くの人たちが質問に立ちました。その議論を司会したのはIAU会長でした。

私には、会長の姿が、定義委員会から上がってきた原案を強引に通そうとするような高圧的な態度に見えます。出席者もそう感じたのか、また、それがかえって反感をかってしまったのか、多くの人たちは原案には反対のようでした。でも、そうでなくともこの原案(惑星12個)ではとても通らないような気がします。結局、その日のミーティングが終わった17時30分からもう一度みんなの意見を聞くことになりました。16時からは、第20委員会のビジネス・セッションに出向きました。早々と会議を切り上げて、みんなとともに第2回目の惑星定義のための討論会に向かいます。

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惑星が8個に

そこで、出席者に配られた資料では、決議案は「太陽系内の天体を3つの明確に異なった種類、惑星と準(矮)惑星、そして微小天体に区別する」と修正されていました。しかし「“小惑星”という表現を今後は使用しない」という条項はまだ残っていました。議論と同時に賛否の予行演習を行いました。しかし、修正案でもまだ反対意見が多く、総会通過はこれでは難しい感じです。決議案に反対の手を上げているほとんどの人は、第20委員会に出席した人たちでした。もちろん、私も反対に手を上げました。それはそうでしょう。この第20委員会の名称は「Posotions & Motions of Minor Planets, Comets & Satellites」といいます。そのMinor Planetが使えなくなるのです。同じように委員会名にMinor Planetという名称をもった委員会がほかにもあるのです。要は、「この決議案ならば、以前に議論のあった単純に冥王星を惑星から省いた方がまだましだ」というのが彼らの意見でしょうか。この集会で一般出席者との議論は終了しました。あとは8月24日の閉会式での採択となります。

8月23日、第3セッションで行われた微小天体命名委員会(CSBN)に出席しました。これで私のオフィシャルな仕事は終了しました。明日は、やっとリボーたちに会えます。アドリアンは閉会式出席を楽しみにしているでしょう。しかし、最後の討論会では惑星は8個、残りは準(矮)惑星ということになります。これでは閉会式がおもしろくありません。そこで、8月23日22時49分にリボーとアドリアンに『リボー。明日の朝、ホテルの部屋で待っている。ただ、09時ごろには、朝食か会議場に出かけ、コンピュータを使っている可能性もある。とにかく、ホテルに着いたら連絡してくれ。アド。惑星の数は水星から海王星まで8個になるようだ。従って、閉会式はそんなにエクサイティングなものにならないだろう。期待するな……』というメイルを送っておきました。リボーからは、すぐ「明日朝05時にここ(ブラチスバラ)を出発する。制限速度(130-Km/h)を守って、そこに09時ちょっとすぎに到着するだろう。駐車場を探してホテルに出向くつもりだ。アド。オンドレヨフに近づいたら携帯に連絡する」という返信が届きます。

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閉会式での採択

さて、その8月24日がやってきました。09時に会場に行ってモバイルを使い、ホテルに戻ってくると、すぐリボーから連絡があります。彼の車にバックを入れたあと会場に向かいます。彼にパスを渡し一緒に中に入りました。彼は、約17年ぶりの再会となるダンとブライアンに会いたがっていました。ちょうどダンを見かけました。ダンと話したあと、そばにテッド(ボーエル)がいました。リボーは「おぼえているか」とテッドにたずねました。そして「ほら、1989年にSyuichiと一緒にフラッグスタッフを訪れた……。ご夫妻で食事をごちそうしてもらった……」で、テッドも「あぁ……、あのときSyuichiと一緒に来た……のはきみか」と思い出したようです。横にいたアラン(ハリス)が「そういえば、外でアドがきみたちを待っていたよ」と話します。そこで、アドと落ち会って、三人でダウンタウンに出かけ書店に行ってから食事をします。そのとき『おい。うまい店を見つけたよ』と言って、磯部氏と古在先生と食事をしたレストランへ連れて行きました。

14時よりアドリアンと総会議場に入ります。入り口で、私には投票用の黄色いカードが渡されます。そして、いよいよ採択の場となります。スクリーンに表示された決議案は、Resolution 5Aとして「(1)惑星は、太陽の周りを公転し、その形状を球に保てる質量を持つこと。(2)準(矮)惑星は、太陽の周りを公転する天体で、その形状を球に保てる質量を持ち、衛星でないこと。いずれの惑星も、天体が近くにないこと。(3)衛星を除く太陽の周りを公転する他のすべての天体は微小天体と呼ぶ。」となっていました。注釈として「8惑星は、水星から海王星である」ことが書かれてあります。しかし、そこには、「Minor Planetを使用しない」という言葉はありませんでした。この案なら私も納得できます。そこで賛成しました。この議案は、賛成票を数えることなく多数で採決されました。続いて、Resulution 5Bとして「(1)従来からの惑星は古典的惑星という。」には、私は反対しました。私の意見として、今までの惑星にわざわざそう呼ばなくても良いと思うのと、従来どおりの大惑星(Major Planet)で良いからです。決議も問題なく否決されました。さらに、Resolution 6Aとして「冥王星は準(矮)惑星であり、TNO(Trans Neptunian Object)のプロトタイプとなる。」は、可決されました。私も賛成票を入れました。これは、冥王星は、もともとそういうもの(TNO)であることが、最近はっきりしてきたからです。最後に6Bとして「6Aの(2)の惑星をPlutonian Objectと呼ぶ。」には、反対しました。これは、TNOという表現で良いと思うからです。この議案は否決されました。ただし、6Bの否決は、票読みをするほどの僅差でした。

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スロバキア・ハンガリーへ

これで、私の総会出席は終了し、リボーとアドリアンとともにオンドレヨフに出かけました。アドをそこで降ろし、明日25日にモドラで会うことを約束し、私たちはブラチスラバに出かけました。翌日25日は、まず、モドラ天文台に向かいます。ここを訪問するのは1994年以来のことです。当時はドームが1つしかありませんでしたが、多くの建物が建っていました。そのあと、2ヶ所のユネスコ指定の世界遺産を見学します。26日は、スロバキア中央にある山地(同じく世界遺産)を案内してくれました。27日は、まず、1994年に亡くなられたクレサック博士の墓にお参りをしたあと、国境のドナウ川を越え、ハンガリーに出かけました。ハンガリー訪問は、私にとって初めてのことです。最後の28日は、プラハへの岐路の途中、遠回りをしてユネスコの世界遺産を見学して、空港まで送ってもらいました。スロバキアは、赤松の針葉樹が多いせいか、山地に入ると松茸の香りが漂ってくるのが印象的でした。観光シーズンが終わっていたせいか、帰りのビジネス・クラスには数人の乗客しか搭乗していませんでした。現地を19時40分発、インチョン空港に12時55分着、飛行時間10時間15分ですが、時速100-km/hの強い偏西風に押されて約9時間で到着しました。関西空港に戻ってきたのが16時20分、自宅には19時に帰ってきました。

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