ブラックホールの理論・観測研究にノーベル物理学賞

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2020年のノーベル物理学賞が、ブラックホールの存在を理論的に証明した研究と天の川銀河中心部の観測で巨大ブラックホールの存在を示した研究に対して贈られた。

【2020年10月7日 ノーベル財団

2020年のノーベル物理学賞が、英・オックスフォード大学名誉教授のRoger Penroseさん、独・マックスプランク地球外物理学研究所所長・教授のReinhard Genzelさん、米・カリフォルニア大学ロサンゼルス校教授のAndrea Ghezさんの3名に贈られることが発表された。

Penroseさんは、一般相対性理論に基づく強い予言として、物質が自らの重力である限界以下の大きさにつぶれると、必ずブラックホールが形成されるという「特異点定理」を理論的に導いた業績が受賞理由となった。またGenzelさんとGhezさんは、私たちの天の川銀河の中心に非常に質量が大きくコンパクトな天体(超大質量ブラックホール)が存在することを観測的に発見した業績が評価された。賞金の1/2がPenroseさんに、1/4ずつがGenzelさんとGhezさんに贈られる。

2020年ノーベル物理学賞発表の動画

Penroseさん:特異点定理

1915年にアルベルト・アインシュタインが重力を「時空の曲がり」として記述する一般相対性理論を発表すると、翌1916年にドイツのカール・シュバルツシルトは、真空の空間に質量Mの質点(大きさを無視できる物体)があるという単純な球対称の条件で質点の周りの時空がどうなるかを、一般相対性理論の重力場方程式(アインシュタイン方程式)を解いて求めた。その結果、質点の位置を原点 (r = 0) とした場合、その原点の位置は時空の曲がりが無限大に発散してしまう「特異点」になることや、原点からr = 2GM/c2だけ離れた位置(シュバルツシルト半径)では脱出速度が光速を超え、これより内側に入った物体は外に出ることができないことなどが示された。

現実に存在する物体や天体のシュバルツシルト半径は非常に小さく、この半径以下にまで質量が詰め込まれた「もの」を目にする場面はまずない。たとえば、1太陽質量の天体のシュバルツシルト半径は約3kmしかない。1939年にアメリカの物理学者ロバート・オッペンハイマーたちは、高密度でコンパクトな天体がみずからの重力で極限までつぶれれば、シュバルツシルト半径で囲まれた面(事象の地平面)が露わになった天体、つまり現在「ブラックホール」と呼ばれている天体が生まれる可能性があることを理論的に示したが、実際の天体が完全に球対称を保ったままつぶれるという状況は考えづらいため、現実にはこのような天体は存在しないだろうという考え方が1960年代までは主流だった。

1964年にPenroseさんは、球対称ではない条件でこうした重力崩壊が起こるとどうなるかを理論的に検討した。Penroseさんはこのためにトポロジー(位相幾何学)の手法を応用した新たな数学的手法を考案し、自己重力でつぶれる物質のエネルギー密度が正だという条件さえ満たしていれば、物質は必ず事象の地平面より小さいサイズにまでつぶれ、特異点ができてしまうことを初めて数学的に証明した。この数学的定理は「特異点定理」と呼ばれている。

Penroseさんの研究と並行して、1950年代には銀河の数百倍というきわめて明るい光を放射する遠方の天体「クエーサー」が発見され、1960年代にはX線観測によって、恒星質量ブラックホールの有力候補「はくちょう座X-1」などが見つかった。Penroseさんの特異点定理は、観測天文学の分野でこうしたブラックホールの有力候補が次々に発見されたこととあわせて、ブラックホールが現実に存在するという考えが広く受け入れられるきっかけとなった。

また1960年代の終わりには、Penroseさんはイギリスのスティーブン・ホーキングと共同で、宇宙そのものの時空にも特異点定理を応用し、ビッグバンから宇宙が誕生するというモデルの下では宇宙自体も必ず特異点から始まることを証明した。

Penroseさんは宇宙物理学の分野だけでなく、数学者としても数多くの業績を挙げている。2種類の菱形で平面を埋め尽くす「ペンローズ・タイル」の研究などはその代表例だ。

Roger Penroseさん
Roger Penroseさん(提供:University of Oxford)

Genzelさん、Ghezさん:天の川銀河の超大質量ブラックホールの発見

クエーサーの正体が銀河中心に存在する巨大ブラックホールだという仮説は1970年代に提唱された。その後、強い電波を放射する「電波銀河」や非常に幅の広い輝線スペクトルを持つ「セイファート銀河」など、様々なタイプの活動銀河が発見されるようになると、これらの銀河もクエーサーと同様に、中心に太陽の数百万倍から数十億倍という「超大質量ブラックホール」が存在し、これが活動性の源になっているというモデルが有力になった。

私たちの天の川銀河は活動銀河ではないが、こうした「静かな」銀河を含め、ほぼすべての銀河の中心には超大質量ブラックホールがあると現在では考えられている。

1990年代に入ると、ハッブル宇宙望遠鏡によって遠くの銀河の中心部をこれまでにない分解能で観測できるようになった。1994年にはおとめ座の銀河M87の中心部にあるガスの回転速度を分光観測から求め、太陽の数十億倍の質量が集中していることが明らかになった。また電波観測でも、日本の三好真さん・中井直正さん・井上允さんたちのグループが国立天文台野辺山の口径45m電波望遠鏡を使ってりょうけん座の銀河M106の水メーザー観測を行い、この銀河の中心に太陽の約3700万倍の質量が集中していることを発見した。

だが、こうした銀河の中心に集中している「巨大な質量」の正体が、星団などではなく確かに超大質量ブラックホールであると立証するためには、単に質量が大きいだけでなく、その質量がきわめて狭い範囲の中に存在することも示さなければならない。一番理想的なのは、銀河中心にある星々の軌道運動を追いかけることだ。もし、太陽を回る惑星のように、銀河中心の星々がある一点の周りで楕円運動(ケプラー運動)をしていれば、銀河中心の巨大質量の正体は広がった星団などではなく、1個の巨大ブラックホールだという強い証拠になる。私たちの天の川銀河でこの観測に挑んだのが、独・マックスプランク地球外物理学研究所のGenzelさんたちのグループと、米・カリフォルニア大学ロサンゼルス校のGhezさんたちのグループだ。

Genzelさんたちはヨーロッパ南天天文台の望遠鏡を、Ghezさんたちは米・ハワイのケック望遠鏡を使い、1990年代半ばから観測を開始した。天の川銀河の中心部は塵が非常に多く、可視光線では見通すことができないため、両チームとも近赤外線で中心部の星々を撮影し、長期にわたってその運動を監視し続けた。また、一つ一つの星を分解するために、1990年代にはスペックル・イメージングと呼ばれる手法を使い、2000年代に入ってからは大気の揺らぎをリアルタイムで補正する「補償光学」を使って撮像を行った。

GenzelさんたちとGhezさんたちは、天の川銀河の中心にある電波源「いて座A*」の周りを公転運動する星々の追跡を26年間にわたって継続し、その中から特に、いて座A*のごく近くをわずか16年で公転運動する星「S2(Ghezさんのグループでの呼び名はS02)」に着目して、そのケプラー運動の重力源となっている質量を求めた。その結果、S2の軌道の近点からわずか125天文単位の範囲に約400万太陽質量が集中していることが明らかになった。これは1立方パーセクあたりに換算すると約5×1015太陽質量というきわめて高い密度だ。典型的な球状星団の中心密度が1立方パーセクあたり約10万太陽質量程度であることを考えると、いて座A*付近に集中している巨大質量は、星団ではなく巨大ブラックホールであることがほぼ確実だといえる。

Genzelさん
Reinhard Genzelさん(提供:MPI for Extraterrestrial Physics)

Ghezさん
Andrea Ghezさん(提供:Elena Zhukova/University of California)

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