小柴さん、2002年ノーベル物理学賞を受賞

【2002年10月11日 国立天文台天文ニュース(591)

スエーデン王立科学アカデミーは2002年のノーベル賞(物理学賞)を小柴昌俊(こしばまさとし)さんが受賞したことを発表しました。

今年のノーベル賞(物理学賞)はニュートリノ天文学とX線天文学という二つの研究分野を切り開いた物理学者たちに与えられました。

ニュートリノ天文学については、アメリカ合衆国フィラデルフィア州ペンシルバニア大学物理学天文学教室のレイモンド・デイビス・ジュニア(Raymond Davis Jr)さんと東京大学の国際素粒子センターの小柴昌俊(こしばまさとし)さんに、X線天文学についてはアメリカ合衆国ワシントン特別区のアソシエテッド・ユニバーシティ社のリカルド・ジャッコーニ(Riccardo Giacconi)さんが受賞しました。

デイビスさんは、金鉱山に置いた四塩化エチレンを充填したタンクで太陽から飛来するニュートリノを検出し、太陽の中で水素がヘリウムに変わる核融合反応が起こっていることを実証しました。この実験は、615トンのタンクの中で塩素原子が一月に20個だけ太陽ニュートリノとの衝突で放射性アルゴンに変わるのを検出するという極端に困難なものでした。冷笑に耐え、実験を黙々と遂行し、太陽ニュートリノ問題の存在を提起した彼の業績は真に独創的なものでした。

小柴さんは、巨大な水タンクの表面を巨大な光電子増倍管多数で被ってカミオカンデ実験を実行し、超新星 1987A からのニュートリノバーストを初めて観測しました。これは、重たい星の中で、複雑な進化の果てにできた鉄のコアが重力崩壊して中性子星になるときに、外層が吹き飛ばされて超新星爆発にいたるという超新星爆発の理論が正しいことを証明しました。また、太陽ニュートリノに関するデイビスの実験結果を確認しました。さらには、カミオカンデを拡大したスーパー・カミオカンデを建設し、大気ニュートリノの実験からニュートリノが有限な質量を持つことを示唆しました。

ジャッコーニさんは、ロケットを使って宇宙X線を最初に発見した実験に参加しました。その後、X線天文学の世界を格段に広げたUHURU(ウフル; 1970年12月に打ち上げられた世界で最初のX線観測衛星)、EINSTEIN(アインシュタイン; 1978年11月に打ち上げられた大型のX線観測衛星)、CHANDRA(チャンドラ; 1999年7月に打ち上げられ現在活動中のX線観測衛星)などの衛星計画すべてに関わりました。中性子星やブラックホールというような理論的にしか考えられなかったエキゾチックな天体が、現実に宇宙の中に存在し観測可能であることを明らかにしました。X線天文学の登場により、私たちの宇宙の描像が星が静かに浮かんでいるという静的なものから、爆発や衝突などダイナミックな現象に富んだものに変貌したことは特筆に価します。

また、ジャッコーニさんの経歴を見ると小田稔(おだみのる; 2001年3月1日没、日本のX線天文学を育てた人)さんと大きく重なることは注目に値します。この点、ジャッコーニさんのノーベル物理学賞受賞は、小田の業績が真にノーベル賞に値するものだったことを証明するものと思います。彼が存命中であったらどうなっていたことかと残念に思うのは筆者だけではないでしょう。

さらに、ジャッコーニさんはハッブル宇宙望遠鏡を擁する宇宙望遠鏡科学研究所の初代所長を経たのち、ESO(European Southern Observatory = ヨーロッパ南天天文台)の台長としてヨーロッパのLSA計画とアメリカのMMA計画のALMA計画への統合に尽力し、現在はAUI(Associated Universities Inc. = 米国北東部大学連合)の会長という立場でALMA計画の北米側代表の一人として計画の推進に当たっています。

なお、日本人のノーベル賞(物理学賞)の受賞者としては、1949年の湯川秀樹(ゆかわひでき)さん、1965年の朝永振一郎(ともながしんいちろう)さん、1973年の江崎玲於奈(えさきれおな)さんに続いて4人目、天文学の分野では初めての受賞となります。

注:この天文ニュースは、理化学研究所の戎崎俊一(えびすざきとしかず)さんにいただいた文章で作成しました。

●東京の北の丸公園にある科学技術館では、今年の受賞者も含めた「速報ノーベル賞展」を理化学研究所との共催で開催中です。10月12日2時からは、2002年受賞者の業績と人となりに関する講演会を行ないます。詳しくはhttp://www.jsf.or.jp/event.htmlをご覧下さい。