金星食の限界線を目指して~鹿児島帰郷の記~

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2022年5月の金星食

2022年、関東に桜色の風が吹き始めたある日のこと。

いしかわ
いしかわ

そういえば、くぼたさん今年の5月27日に金星食があるのを知ってますか?

くぼた
くぼた

今年も見られるんですね!昨年の金星食はあまり上手に撮影できなかったので、是非リベンジしてみたいなあ。

くぼたが「金星食」と聞いて思い浮かべたのは、昨年2021年11月8日の遠征・配信のこと。この日は雲が多かった。個人的には初めて行う日中の星食撮影ということもあり、薄雲の中の月と金星を見つけるのに一苦労。また、直射日光を受けたノートPCのディスプレイが見にくいのなんの。そうしてこの日は、金星の潜入は思うように捉えきれなかったのだ。しかし、その後なんとか画面に写った「出現直後の金星」がきらりと月に寄り添う姿は非常に印象的で、また感動的であった。

2021年11月8日の金星食配信より、金星が出現した瞬間の映像
いしかわ
いしかわ

今回は、鹿児島以南で見られるんですよ!休暇も兼ねて撮影に行ってみては?

いしかわ氏は、「アストロガイド 星空年鑑 2022」を広げて今回の金星食の概要を教えてくれた。

どうやら、九州中部以北では「金星食」にはならず接近にとどまるらしい。梅雨目前の天気ということであれば、もしかしたら関東から「月と金星の接近」を撮影したほうが今回の天文現象への満足度や、撮影の成功率は高いのかもしれないと、その程度の軽い気持ちだった。しかし――。

アストロガイド 星空年鑑 2022
全国における金星と月の接近、金星食のようす

さらに解説記事を読み進めると、そこには「金星食が見られない」「金星の一部がかくれる」「金星食が見られる」地域が地図上に帯状に示されていた。

うむ、これは僕の地元どころの話ではない。庭と言ってよい。学生時代は自転車で、車の免許を取ってからは自家用車(ソウルレッドのデミオ)で走りまくった地域だ。空の開けている場所、街灯の少ないスポット、駐車場やトイレのある展望台、山道、近道、危険な道、なんだって知っている。これは、行くしかない。地図といしかわ氏の進言によって僕は「今度こそ、ばっちり金星食を撮るぞ!」という野望と、ほんのノスタルジーを胸に鹿児島への帰郷を決めたのだった。

くぼた
くぼた

たしかに、限界線付近の道やスポットは知り尽くしているし、もう3年も地元に帰ってないからいい機会かもしれません!

ここ2~3年の大型連休に比べ、今年はだいぶ人流が元に戻ったようである。そんな中、僕はひとり仕事に打ち込んでいた。そう、金星食のためだ。前述のとおり、春に「5月は帰省とともに金星食を撮るぞ!」と決めてから、配信のスケジュール、使用機材、費用などを企画書にまとめ、無事会社に認めてもらったのだ。

いわゆる大型連休と、月末の帰省と2回も連休を取っていたら僕の5月の業務時間が2週間程度になってしまう。それではいけないので、今回は月初の連休を月末に移動するかたちとした。一期一会の天文現象のためということで、このように柔軟な働き方を相談できる環境は非常に有り難い。

さらに、5月20日には「金星食まであと1週間!」ということで「シミュレーション配信」も行った。「ステラナビゲータLite」を使用して、来る金星食への気持ちを高める。準備は万端だ。このときの配信も、アーカイブ映像として残しているので、もう一度振り返って楽しみたい方には是非ともおすすめだ。

事前のシミュレーション配信「金星食まであと1週間!」
金星食のシミュレーションに使用した「ステラナビゲータLite」

3年ぶりに鹿児島へ

そして、5月25日。旅立ちの日はあっという間にやってきた。今回の金星食配信に使用する機材は、一式梱包して数日前には会社から発送済み。あとは自分自身の荷物をスーツケースに詰めて、羽田から飛行機で舞い上がった。心配事はお天気だけである。

出発1週間前の時点で、南九州の梅雨入り予想は「5月27日」。金星食も「5月27日」。くぼたの遠征距離と雲量は比例する、というマーフィーの法則があるとかないとか。主観確率では、これが正しそうに思えるのが悲しいところだ。

しかし、それから日を追うごとに天気予報は上向いていった。なぜか27日だけぽかんと晴れそうなのだ。これはなにかの罠なのか……!? それとも、素直に信じる心が大事なのだろうか。天の気持ちに疑心暗鬼になりながら眺める飛行機の小窓の外には少しの青空と、茶畑、そして鹿児島空港の滑走路が横たわっていた。期待に揺れる。機体も揺れる。到着だ。

鹿児島空港のバス乗り場

鹿児島空港から、僕の地元・枕崎市までは直通のバスが出ている。鹿児島交通の懐かしい雰囲気。高校時代のバス通学を思い出す。英単語帳を開きながら、眠い目をこすっていたあのころ。もうあれから10年以上経つのか。ちょうどその頃と同じルートをバスは走っていた。南さつま市(加世田)を経由して枕崎駅へ向かう国道270号線。車窓から見えたのは、観測地予定の「長屋山」だ。山頂のドームがよく目立つ。残念ながら、長屋山は現在工事中で展望台まで入ることができず、結果的にはもう少し海側の山になるのだがそれはまた後述する。

バスの車窓から見た風景

そんなこんなで、とうとう着いた!我がふるさと、枕崎だ!

枕崎駅に立つ灯台のモニュメント

もちろん、子供の頃から比べるとあちこち風景は変わったが、上京してからの3年で雰囲気が一変するということもない。むしろ、時折聞こえるふるさとの言葉に心が安らぐ。僕はここでようやく、東京の衣装を脱ぎ鹿児島・枕崎の服に着替えられた気がした。よかもんじゃ。

枕崎の地面を踏みしめていると、数日前に車の免許を取ったばかりの愚弟がえっちらほっちらと軽トラを走らせてやってきた。運転の練習がしたいというので、枕崎空港跡地にある「枕崎天文台」を目指してみることにした。枕崎空港はかつて、日本初のエアコミューター用の空港として開設された小さな飛行場だ。全長800mの滑走路は、小学生時分の僕には憧れの的で個人的に取材しに行ったこともある。その数年後に、枕崎空港はヘリポートを残して廃港となり今では滑走路の大部分がソーラーパネルに覆われた姿となっている。これはこれで見応えのある光景なので、もし機会があれば展望所を備えたヘリポート建屋に訪れてみてほしい。

さて、話を戻して「枕崎天文台」は僕が大学生の頃に完成した施設だ。気にはなっていたが、これまでしっかり訪問したことはなかった。

枕崎空港跡地へ
枕崎天文台のドーム

ちょうどスタッフの方がドーム内のメンテナンスを行っていたので、思い切って声をかけてみた。なんでも以前は定期的な観望会を開いていたそうだが、コロナ禍になってから密を避けるためドーム内での活動がままならなくなってしまったらしい。ドームの中も少し見せていただいた。タカハシ Temma2M EM-500 に、ミード LX850 (35cm F8) 鏡筒。惑星観測にはもってこいの、なかなか骨太な機材たちだ。

観測地探し

枕崎天文台を後にした僕らは、引き続き弟の運転で金星食配信の予定地「長屋山」へと向かった。長屋山はここ一帯では比較的標高が高く、駐車場やトイレもあり、見晴らしの良い展望台があることは子供時代の記憶から確認済みだ。

長屋山は山頂にある航空管制用レーダーを収めたドームが特徴的で、空港バスの中から見えていたものがそれだ。先ほどより幾分慣れた弟のハンドルさばきで山道をグリグリと上っていくと、なにやらクレーン車と「立入禁止」の看板に突き当たった。展望台の近くに鉄骨で出来た大きな東屋らしきものがあり、そばに近づけない。

山頂の道路を少し回ってみたが、その展望台以外にふさわしい場所がなく長屋山は諦めることにした。なあに、まだまだ候補地はある!これが地元民の自信だ。

すぐさま、次の候補地を「亀ヶ丘公園」に定めた。長屋山からほど近い海寄りの丘だ。

亀ヶ丘には複数の展望台がある。まずは一番メジャーな、パラグライダーの発着所でもある公園に向かった。ここからは、南さつま市大浦町の干拓地が一望できる。空も開けていてよさそうだ。さっそくアプリを使って、当日の月の位置を確認した。

ほとんど申し分ないが、鉄柱が気になるのとメジャーな駐車場ということもあり人の往来が多い可能性が懸念点だ。現に亀ヶ丘内のもう1つの展望ポイントではアベックが二人の世界に浸っており、これを邪魔してはいけない。

そういうわけで、とっておきの、車では細い道を勇気を持って入らなければ見つからない穴場的な展望台に向かうことにした。ここは、トイレこそ少し離れた場所にあるが見晴らしはよく駐車場もあり、何しろ人が来ないという撮影・配信には持って来いの場所なのだ。

その名も、「星降る丘展望所」。なんとも縁起の良い名前ではないか。展望所の形がカタツムリなのもかわいらしい。ここに決めた!

当日朝、怪しい雲行き

金星食当日、5月27日になったばかりの0時過ぎに軽トラのイグニッションキーを回した。今回の遠征を愚弟も手伝ってくれるという。なんて素直でいい子なのだろう。ただ、今回は業務なので僕がハンドルを握ることにした。途中、コンビニで食料を買い込み山へ向かう。当日のタイムスケジュールはこんな感じだ。

02:00 – 現場到着、機材設置、極軸合わせなど
03:00 – 撮影・配信開始(月の出、月と金星の接近)
(~そのまま配信~)
13:00 – 金星食の実況・解説(☎アストロアーツ本社も)
13:45 – 金星食の最接近
14:00 – 配信終了、撤収

夜明けの月と金星の美しい映像から、徐々に月と金星が接近する変化を楽しみつつ、クライマックスの金星食を皆さんと楽しもうという内容モリモリの長時間配信の予定だ。

機材の設置が完了した頃、僕は無精髭の頬に何か水滴を感じた。弟と2人でよく似た顔を見合わせた。

「雨だね……」

ひょえぇ~、である。東京から持参したブルーシートを望遠鏡にかける。備えあれば憂いなしだ。そうこうしているうちに、なんと配信の開始時刻になってしまった。ひょえぇ~。

僕はすかさず、ブルーシートとともに頭を抱える自分の姿をツイートした。演出ではなく、本当に頭を抱えていたのである。朝早くから待機してくださっていた視聴者もおられた。なんとも皆さん、本当に申し訳ない……!

さらにトラブルは続き、会社のC8鏡筒のファインダーと主鏡の光軸がなかなか合わなかったり、慌ててピント位置を見失ってしまったり。事前にリハーサルやピント出しは行っていたが、これは僕の経験不足による落ち度だ。

一方、天気もなかなか回復せず、月の出からしばらく経っても、東の空には何も見えない。かろうじて天頂や北の空に星が見えることもあり、急いで極軸やピントを追い込んだ。日が昇るまではてんやわんやしていた。なんだかドラマティック・レインだね、とそんな悠長なことも言っていられない。

青空と水平線

そして、数時間後。晴れた。

もう一度言う、晴れたのである!!!!

星降る丘展望所と青空と水平線

見よ、この清々しい景色を!

晴天とまではいかないが、雲の間を30秒探せば肉眼でも細い月が見つかる。望遠鏡は金星の輪郭を追い続け、その姿を常に配信していた。やや通信状態が悪いということもあるが、電源を供給していれば、なんとかそれも許容範囲内に収まるようだった。

眼前には東シナ海の青い水平線!思わず口走るのは山下達郎の名曲だ。RIDE ON TIME。気分はアガるが、気温は上がらず、ひたすら風が気持ち良い。ワーケーションとはよく言ったものだ。リフレッシュとお仕事を両立できている。すばらしいなあ。このまま金星食へ駆け抜けていこう!

暑さ対策

配信を開始して数時間。容赦なく高度を上げる太陽。直射日光がジリジリと僕らの肌を焼き始めた。まあ、それはいいのだ。薩摩隼人にとってなんのこれしき、慣れっこだ。ただ、東京から持参したノートPCや望遠鏡機材は違う。これらが、だいぶ熱を持ち始めた。望遠鏡も筒内気流がやんややんやの大騒ぎで、ピントもずれる。金星の像もゆらゆら狂喜乱舞状態だ。

朝に羽織っていた半纏(はんてん)をノートPCにかぶせ、ディスプレイにも影を作った。赤道儀のコントローラとスマホと一緒に、僕も潜り込む。

半纏に潜り、金星を追尾する筆者

金星食の瞬間

金星食が始まる少し前、13時頃から東京のアストロアーツ本社で待機中のひろせ氏と一緒に実況・解説を行った。

ひろせ
ひろせ

もしもし、晴れてよかったですね。こちら(東京)で雨を引き受けたおかげかもしれません!

くぼた
くぼた

いや~本当に。しかし、朝はこちらも雨でしたからね。

自他ともに認める「雨男」「曇男」のひろせ氏とくぼたは、天気の運を相憐れむ。

当初、Zoomで繋いでひろせ氏の顔を見せながらのリモート中継にしようと考えていたが、あまりの通信状況の悪さに、電話中継に切り替えた。

電話口の声を、僕のヘッドセットから拾って配信に乗せるというデジタル→アナログ(空気振動)→デジタル変換だ。金星食の直前や、解説中にも一部配信が途切れてしまう時間帯があった。視聴者の皆さんには本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。また、同時に雲が広がり始めた。これまでよく晴れていたのに、金星食の時間帯に限って……である。いろいろな意味で限界線だ。非常におぼつかない金星の像だが、なんとか見失わずに……もう少しだ!

金星食、第1接触のころ
金星食に盛り上がるチャット

金星食が始まり、この時点で配信開始から6時間が経過。チャットも悲喜交交に沸きはじめる。

金星が視直径の半分ほど隠れた

月に隠れ始める金星は、輪郭こそはっきりとは確認できないものの明らかに像の形や明るさが変化するようすがわかった。一緒に眺めるチャット欄の皆さんも「見えない!」「いや、まだ見える!」「欠けはじめた!」とリアルタイムに実況。これが限界線からのライブ配信の醍醐味だろう。

そして、最接近の時刻。リアルタイムのシミュレーション映像と見比べるが、実際の金星の映像では全くその姿を確認できない。月の山の陰に入ってしまったか?心の眼で見れば?と、たしかに大きく隠れた金星を味わう。

その他、限界線での金星食の緊迫した一部始終は、以下の配信のアーカイブ映像から是非見ていただきたい。

ライブ配信「鹿児島から生放送!金星食の限界線」第1接触の時間帯から

クライマックスを終え、金星食の配信が無事終了した。この雲の中、一度金星を見失ってしまうと再度、望遠鏡に入れることが難しいと判断し、諸々のねじをしっかりと締めた上で「鏡筒反転をしない」ということにした。おかげで、終了後の望遠鏡はこのようなイナバウアー状態だった。よくぞがんばってくれた!よしよし。いい子、いい子。

金星食後の望遠鏡の状態

その日の夜

金星食の長時間ライブ配信を終えた僕は、その日はゆっくりと眠れる――わけがないのである。せっかく枕崎に戻ってきたのだ。星を見なければ!夏の天の川を楽しまなければ!

向かったのは枕崎市の火之神公園。市街地から車で10分足らずで到着するが、港の灯台よりもさらに南側に突き出した位置のため、星空を照らす人工の光がほとんどない。枕崎のシンボルである「立神岩」も夜になってはその影すら見えないほどに暗い空だ。天の川の足元には東シナ海、官能的にはもはや波の音と星空しか感じられないのである。海は、見えない。

ここでは、肉眼でも濃い夏の天の川を確認できた。関東に来てから、いくつか「天の川がきれいに見える」と言われるスポットをいくつか巡ったが、そのどこもここ枕崎には勝てないだろう。なんて、ふるさと自慢をしてみる(えっへん)。

次の写真は、デジタルカメラ「Canon EOS Kiss M」で撮影中の液晶パネルをスマホで撮ったものだ。やや低空に雲があるのが惜しいが、なんと、この黄色いラインが水平線なのだ。いかにさそり座が高い位置にあるかお分かりいただけるだろう。もう少し、西側の「坊津」地方に行けば市街地から完全に離れられるが、そうすると今度は岬の灯台の明かりが邪魔になってくるので、案外ここ火之神公園は手軽で空も暗い、星空観察に最適な場所なのかもしれないと思った。トイレも駐車場もあるし。

火之神公園から南側を固定撮影

こうして、金星食の配信を兼ねた僕の帰郷は幕を閉じた。久々に家族にも会えたし、お墓参りや掃除もできたし、懐かしい路々を回れたし、昔の仲間と話す機会もあった。もう何も思い残すことはない。さあ、次は何を撮影しようか!火星食?

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